世界のホンダを創り上げた本田宗一郎氏。彼が引退するに至った理由とは?

更新日:2015/04/02

今回は、本田技研工業の創業者・本田宗一郎氏のとあるエピソードをご紹介します。

1948年に会社を設立し、翌年から藤澤武夫氏と共に二人三脚でホンダを世界的メーカーへと成長させた本田宗一郎氏。1973年に引退を宣言しますが、何が原因で世代交代へと至ったのでしょうか?

そこには本田社長の人並みならぬクルマづくりへの熱い想いが隠れていました。

空冷エンジンにこだわり続けた本田宗一郎氏

本田技研工業の創業者である、本田宗一郎氏。

本田技研工業を発展させ多くの業績を残した同氏ですが、彼は異常な程に空冷エンジンにこだわりを見せました。

「世界に通用するエンジンは空冷でなければならない。」と主張し続けた本田社長は、若手の技術者達が水冷エンジンを推奨しても断固として空冷エンジンに固執。

なぜ、本田宗一郎氏はこんなにも空冷エンジンにこだわったのでしょうか?

空冷エンジンを搭載したN360が、ホンダを二輪車メーカーから量産四輪メーカーへと押し上げた

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ホンダと言えば、元々は二輪メーカー。

1962年頃からホンダは四輪市場へと参入しT360やS360等を開発していきますが、ホンダを量産メーカーへと押し上げたのは1967年に発売したN360でした。

そのN360が搭載していたエンジンが、二輪車の開発で培った空冷エンジンだったわけです。
水冷エンジンと比べ、造りがシンプルで低コストな空冷エンジンは、本田宗一郎氏にとって理想のクルマづくりには欠かせない存在でした。

しかし、時代は空冷より水冷…ホンダ1300の失敗がそれを証明する。

出典:www.jsae.or.jp/autotech/large/1-55-1.jpg

しかし、本田宗一郎氏が空冷エンジンへ情熱を注ぐも時代は水冷化へと進んでいきます。

冷却のコントロールが水冷と比べて非常に難しい空冷エンジンでは排ガス規制を突破できない…。「空冷に未来は無い」というのが若手の技術者たちの共通認識でしたが、本田社長は依然として空冷エンジンへの想いを貫きます。

しかし、社内で水冷空冷論争が勃発する中1969年に発売したホンダ1300が失敗し、状況は変わっていきます。

「あなたは社長なのか?技術者なのか?」副社長の藤澤氏が本田宗一郎氏を説得

空冷エンジンを搭載した1300の失敗により打撃を受けたホンダ。創業以来、本田社長の右腕であった副社長の藤澤氏が技術にこだわり続けた本田宗一郎氏に「あなたは社長なのか?技術者なのか?」と発問。

暫くの沈黙の後、本田社長は「自分は社長でいるべきだ。」と答え、空冷エンジンへの夢を諦めます。

その後エンジニア達に水冷エンジンの開発進めるよう指示を出し、73年には副社長の藤澤氏と共に引退を宣言。自身の判断の失敗を認め、取締役最高顧問に退きました。

…本田社長の引退には、このような背景がありました。実業家でもあり、技術者でもあった本田宗一郎氏。
73年に世代は変わりましたが、彼のクルマづくりへの想いは後世に受け継がれ、ホンダを世界のホンダへと発展させていきました。

これからホンダはどのうように進化し歴史を作っていくのでしょうか、楽しみですね。

情報提供元: CarMe[カーミー]