自動車レースの「なんでもあり」時代が終わった理由 - ドーピングOK競技が気づいていない落とし穴
管理ドーピングを認める「Enhanced Games」に、自動車レースの歴史が投げかける警鐘。自由を極限まで追求したCan-Amが9シーズンで消えた理由から、「ルールを外すこと」の代償を考える。
医師の管理下でドーピングを合法化し、「人間の限界」を超えることを目指す新たな国際競技大会「Enhanced Games(エンハンストゲームズ)」が注目を集めている。賛成派は「管理された環境なら裏ドーピングより安全だ」と主張し、反対派は「健康リスクと年若者への悪影響が大きすぎる」と警告する。論点は多いが、どちらの陣営もあまり語らない観点がある。それは「ルールを自由にしたとき、その競技自身がどうなるか」ということだ。
実は自動車の世界では、すでにこの実験が行われている。1960年代から70年代にかけて北米で繰り広げられた「Canadian-American Challenge Cup」、通称Can-Amは、「安全基準以外はなんでもあり」の状態で、限りなく「ノールール」に近いレースだった。その結末は、「自由こそが競技を殺した」という予想外のものだった。
「スポーツカーのフォーミュラリーブル」
1966年に誕生したCan-Amは、FIAの国際規定「Group 7」をベースにしていた。この規定が求めたのは驚くほどシンプルだった。2席のボディ、ホイールを覆うフェンダー、ワイパーとライト、基本の安全装備。それ以外、ほぼ何も制限されなかった。エンジンの排気量は無制限、ターボチャージャーやスーパーチャージャーも自由、空力ダウンフォースも好きなだけ稼いでよかった。市販ガソリンを使うことと、サーキットで2人乗れること。それだけを満たせば、どんな怪物でも出場できたのだ。
もともとGroup 7は「ホモロゲーション不要」のカテゴリーだった。量産を前提とせず、レース専用のワンオフマシンでも戸籍が通る。これはスポーツカーにとって、まさに「自由」の極致を意味した。メディアは当時を「スポーツカーのフォーミュラリーブル」と表現した。モータースポーツの歴史家であるピート・ライオンズは、Can-Amのマシンたちが「当時のロードレース史上最もパワフルで、最もワイルドで、最も恐ろしく速い自動車」だったと記録している。なんと、当時のF1マシンより速かったというのだ。
完璧なレースカーがもたらしたもの
自由が生んだ怪物の筆頭は、ポルシェ917/30だった。もともと917は1970年のル・マン24時間レース優勝で有名なマシンだが、Can-Am向けに特化された917/30は別次元だった。エンジンは5.4リットルに拡張され、ターボを2基搭載。ピーク時には大台を軽く超える1500馬力以上、ある記録では一時1600馬力に達したとされる。ドライバーのマーク・ドノヒューはこのマシンを「完璧なレースカー」と評した。
しかしこの「完璧」という言葉は、競技全体から見ると皮肉な意味を帯びていた。917/30はあまりにも速く、あまりにも強大だった。前モデルの917/10が1972年のチャンピオンシップを圧倒した時点で、それまでCan-Amを席巻していたマクラーチームは撤退を決めていた。動力は十分に出せたが、ギアボックスが馬力に耐えられなかったのだ。ポルシェのペンスキー・チームは、ドライブトレインの完成度まで含めた「トータルパッケージ」でライバルを沈めた。
翌1973年、917/30はラップタイムで従来の917/10に対し約2秒速く、ほかのマシンたちとは別次元の存在となった。マーク・ドノヒューはほとんどのレースで圧倒的なポールポジションを獲得し、出走台数はバラバラになっていった。競争相手がいなくなり、ついにはドノヒューと、旧式の917/10数台、それに雑多なマシンだけが走るような状況になった。ある評論家はこのように書いている。「917/30のファンも敵も、同じ理由でこの車を語る。なぜなら、その速さと性能が、Can-Amシリーズそのものを死に至らしめたからだ」。
影が見せた光
自由は怪物だけを生んだわけではなかった。Can-Amの舞台に現れた「Shadow(シャドウ)」という小さなチームは、まるでその名の通り、闇から這い出てきた異色の存在だった。チームを率いたドン・ニコルズは、幼年時代に竜巻で母親を亡くし、孤児として育ち、Dデイに第101空挺部隊としてノルマンディーに降下した元軍人だ。その後、対諜報部員として活動しながらレースの世界に入ったという、いかにも「影」にふさわしい経歴を持つ男だった。
ニコルズはコンセプトモデルの写真撮影の段階で、実際にボディが存在しない「フェイク」のモックアップを使い、雑誌の表紙を飾らせたほどの演出家だった。そして彼が生み出したCan-Amマシン、シャドウDN4は、車高わずか61センチという異様な低さを誇った。黒いボディがトレードマークで、往年の名ドライバー、ジャッキー・オリバーとジョージ・フォルマーが操った。
1974年、オリバーとフォルマーは険悪なチーム内関係と言われながらも、シャドウDN4でCan-Amの最終チャンピオンシップを制した。だがその時、すでにシリーズの土台は蝕んでいた。
自由が招いた終焉
1973年のオイルショックを受け、Can-Amは燃料消費に制限を導入。さらにコストの高騰と速度のインフレを受け、1974年には新たなレギュレーションが導入された。この年はオリジナルのCan-Amとして最後のシーズンとなり、第5ラウンドが終わった時点でシリーズは打ち切られた。結局、自由を謳ったCan-Amは9シーズンでその幕を閉じたのだ。
皮肉なことに、この結果が別の競技を豊かにした。当時、F1が商業的な成功を収め始めた背景には、Can-Amが残した「財政的教訓」があったという。F1はCan-Amの崩壊から、「技術的に自由を置きすぎるとコストが爆発し、競争が破壊される」ことを学んだのである。「ノールール」はスポンサーも出場チームも遠ざけ、エンターテインメントとしての寿命を縮める。それがCan-Amの後に残された知恵だった。
自由が生むパラドックス
ここに、Enhanced Gamesの議論と重なる構造がある。「限界を超える」を掲げることは、一見魅力的だ。しかし競技が続くための前提は、参加できる者の存在と、互角のライバル関係である。Can-Amの場合、安全基準は守られていても、競技そのものが持続しなかった。医師管理の下でドーピングを許可したとしても、「限界を超えた個人」があまりにも突出すれば、競争バランスは崩壊する。そして出場者が減り、スポンサーが離れ、競技は消えていく。
ポルシェ917/30が示したのは、「最強になった瞬間、その病理はゆっくりと競技全体を死に至らしめる」ということだった。自動車レースでいえば、叡智となった技術規制は「退屈さを売る」ためのものではない。競技者を残し、観客を取り込み、シリーズを継続させるための「知恵」なのだ。
結末を知っている我々は
すべての「なんでもあり」は、結局のところ、誰かの財布と誰かの命を消耗させる。Can-Amの時代、車は異常な速度で進化した。しかし、その速度は競技自身の寿命を縮めた。Enhanced Gamesが果たして平和裏に開催されるのか、あるいは別の「終焉」を迎えるのかはまだわからない。だが、モータースポーツの歴史が語るのはこの一点だ。ルールを外すことはパフォーマンスの壁を壊すことかもしれない。しかし、壁を壊した先に競技があるとは限らない。
日常の我々には「ノールール」は存在しない。交通規則も、職場の決まりも、家計の制約も、すべて限界を作りながら、我々をある種の安寧に保っている。だからこそ、限界を取っ払うことの代償は、もっと慎重に計算されるべきなのかもしれない。Can-Amは自由を踊らせ、そして自由に葬られた。それを教訓として残したからこそ、今のモータースポーツがある。
参照元: Hagerty Media / Pete Lyons「Can Am: The History of the Canadian-American Challenge Cup」(2026年2月)、Motor Sport Magazine「Porsche 917 Can-Am」(2019年11月)、Classic Motorsports「The Zeitgeist of Domination: Mark Donohue and the Porsche 917/30」、Road & Track「How a Legend Was Built on a Fake Mock-Up and a Failed Racing Experiment」「Shadow, The Mysterious Racing Team Run by a Spy」、Sportscars.tv「Can Am 1974」、Wikipedia「Canadian-American Challenge Cup」「Group 7 (motorsport)」「Enhanced Games」
























