電気自動車は「排気ゼロ」なのに、汚れは増える。犯人は、あなたが毎日すり減らしている黒い輪だった
EVは排気ゼロなのに、なぜ道路の汚れは減らないのか。タイヤ摩耗と6PPD-キノンがもたらす、見えない環境負荷の実像を追う。
- Chapter
- マフラーの汚れは減った。でも車は、きれいになっていない
- タイヤは、走っている間ずっと「消えている」
- EVに替えると、なぜ汚れが増えるのか
- そして、川の魚が死んだ
- 黒い輪から、静かにこすれ落ちているもの
車の排気ガスと聞けば、多くの人はマフラーから出る煙を思い浮かべる。だから電気自動車が「排気ゼロ」だと聞くと、走っても何も汚さないきれいな乗り物なのだ、と受け取る。マフラーがないのだから、それは当然に思える。
ところが、車が道路に残していく細かい汚れを一台ずつ量って足していくと、奇妙なことがわかる。マフラーから出る粒子は、ここ数十年でどんどん減った。そして今、車が撒き散らしている微粒子の大半は、燃焼とはまったく関係のない場所から出ている。タイヤと、ブレーキだ。
さらに妙なのは、電気自動車に替えると、このタイヤ由来の汚れはむしろ増える可能性がある、という点だ。理由は拍子抜けするほど単純で、電気自動車は重いからである。
黒くて丸くて、四隅についているだけの、ふだん誰も気にしないあの輪。今日はその話をする。行き着く先は、車の設計図ではなく、太平洋の川をのぼる一匹の魚の死である。
マフラーの汚れは減った。でも車は、きれいになっていない
まず前提を揃えておきたい。
車が出す大気汚染物質のうち、健康被害でとくに問題にされてきたのが「PM」と呼ばれる細かい粒子だ。PM10は直径10マイクロメートル以下、PM2.5はさらに小さい2.5マイクロメートル以下の粒子で、小さいほど肺の奥まで入り込みやすい。ぜんそくや心臓・血管の病気との関連が長く指摘されてきた。
この粒子を減らすために、世界の自動車メーカーは何十年もかけて排ガス浄化装置を磨いてきた。その努力は実を結んでいて、マフラーから出る粒子は劇的に減っている。
問題は、粒子の出どころが排気だけではなかったことだ。車が走れば、タイヤは路面とこすれてすり減る。ブレーキをかければ、ブレーキパッドが削れて粉になる。路面そのものも削れる。これらは燃料を燃やすこととは無関係に出るので、まとめて「非排気(ノンイグゾースト)」の粒子と呼ばれる。
英国政府に助言する専門家グループ(Air Quality Expert Group)が2019年にまとめた報告書は、道路交通が出す一次PMのうち、非排気由来がPM2.5で約6割、PM10で約7割を占めると見積もった。つまり、マフラーから出る分より、タイヤやブレーキがこすれて出る分のほうが、すでに多い。
そして同じ報告書は、対策を打たなければ2030年ごろには英国の道路交通のPM10排出の9割以上が非排気由来になる、と予測している。排気をきれいにすればするほど、相対的にタイヤとブレーキの存在感が大きくなっていく、という構図だ。
OECD(経済協力開発機構)も2020年の報告書で、道路交通のPM排出の約9割が非排気由来になっているとの見方を示している。
タイヤは、走っている間ずっと「消えている」
言われてみれば当たり前の話だが、タイヤは減る。溝が浅くなったら交換するのは、ゴムが道路との摩擦で少しずつ削れていくからだ。
その削れたゴムはどこへ行くのか。一部は目に見えない微粒子として空気中に舞い、多くは路面に落ち、雨で流されて側溝から川へ、そして海へ向かう。
この量が、想像よりずっと大きい。オランダの研究者コーレ(Kole)らが2017年に発表した推計では、世界全体で年間およそ600万トンのタイヤが摩耗して環境に出ているとされる。一人あたりで割ると、平均で年0.8キログラムほど。あなたも私も、意識しないまま毎年1キロ近いゴム粉を地球に撒いている計算になる。
この推計には大きな幅があり、測り方の定義によって数字は動く。研究者自身も不確実性が大きいと認めている。それでも、桁を眺めるだけで印象は変わる。タイヤは「たまに交換する消耗品」というより、走っている間ずっと少しずつ空気と水に溶けていく、巨大な粉塵の発生源なのだ。
日本も例外ではない。環境省は2024年、日本から海に流れ出るマイクロプラスチックの量を推計し、その主要な発生源のひとつがタイヤの摩耗粉じんだと指摘した。国立環境研究所も2025年、日本国内で流出するマイクロプラスチックのうち、タイヤ由来の粒子が相当な割合を占めるとの分析を公表している。「マイクロプラスチック=レジ袋やペットボトルの破片」というイメージを持っている人は多いが、実際にはタイヤが大きな顔をしている。
EVに替えると、なぜ汚れが増えるのか
ここで冒頭の逆説に戻る。
タイヤの摩耗は、車が重いほど激しくなる。重い車体を支え、加速させ、止めるぶんだけ、ゴムに強い負荷がかかるからだ。
電気自動車は、床下に大きな電池を積む。この電池がとにかく重い。同じくらいの大きさのガソリン車と比べると、電気自動車は平均して2割以上重いという研究がある(Timmers & Achten, 2016)。同じ研究は、その重さのぶんタイヤ摩耗によるPM10は約2割、PM2.5は約3割増えると見積もっている。
つまり、マフラーから出る粒子はゼロになっても、タイヤから出る粒子は増える。電気自動車のPM排出を全部足し合わせると、ガソリン車とほぼ変わらない水準になる、という試算すらある。
これは「だから電気自動車は意味がない」という話ではない。二酸化炭素や窒素酸化物といった別の問題では、電気自動車には明確な利点がある。ただ、「排気ゼロ=完全にクリーン」という素朴なイメージには、タイヤという大きな穴が空いている、ということだ。静かでスムーズに走る重い車が、路面にはこれまでより多くの黒い粉を残している。目に見えないので、誰も気づかないだけだ。
この現実に、規制もようやく追いついてきた。欧州連合が2024年に採択した新しい自動車排ガス規制「ユーロ7」は、世界で初めてブレーキやタイヤの摩耗粒子を規制の対象に加えた。マフラーの外側にある汚れを、法律が正面から相手にし始めたのである。乗用車では2025年から段階的に適用が始まる。
そして、川の魚が死んだ
ここまでは「量」の話だった。だが、タイヤの粉には、量とは別の、もっとぞっとする側面がある。ゴムに何が混ぜてあるか、という話だ。
タイヤのゴムは、そのままでは空気中のオゾンで劣化してひび割れる。それを防ぐために、酸化を抑える薬品が練り込まれている。長年ひろく使われてきたのが「6PPD」という添加剤だ。名前を聞いたことのある人はまずいないだろう。だが、これは事実上、世界じゅうのほとんどのタイヤに入っている。
問題は、この6PPDが空気中のオゾンと反応すると、「6PPD-キノン」という別の物質に変化することだった。そしてこの変化後の物質が、ある魚にとって猛毒だったのである。
アメリカ西海岸のワシントン州では、秋になると都市部の川に産卵のためのぼってくるギンザケが、卵を産む前に大量に死ぬ現象が長く謎とされていた。雨のあとにとくにひどい。何十年も原因がわからなかった。
2020年、Tianらの研究チームが科学誌サイエンスに突き止めた答えを発表した。犯人は、道路に降り積もったタイヤの摩耗粉から雨で溶け出した6PPD-キノンだった。この物質はギンザケに対してきわめて強い毒性を持ち、ごくわずかな濃度で魚を殺す。雨が降ると路面の粉が一気に川へ流れ込み、ちょうど遡上の季節と重なって、魚を待ち伏せしていたことになる。
タイヤを踏みしめて走る、その足元のゴム粉が、数百キロ離れた川で、産卵直前のサケを倒していた。工学の話が、いつのまにか生態系の話につながっていた。
これは遠い国のよその話ではない。日本の国立環境研究所の研究者らも、ニッコウイワナやニジマスといった日本の川魚が6PPD-キノンに対して感受性が高いことを報告している。朝日新聞は2025年、沖縄のヤンバルクイナの体内からタイヤゴムの粒子が見つかったと報じた。空を飛ばず森を歩くあの鳥の体にまで、道路のゴムが入り込んでいた。
さすがに事態は動き出している。アメリカの一部の州は6PPDを含むタイヤを規制対象として指定し始め、欧州連合も6PPD-キノンを水質の監視リストに加えた。タイヤ業界も代替物質を探しており、2025年には代替品を開発したとする発表も出てきた。ただ、世界じゅうを走る何十億本ものタイヤが入れ替わるには、これから長い時間がかかる。
黒い輪から、静かにこすれ落ちているもの
ここまでの話を、自分の生活の高さまで下ろしてみる。
私たちは、車のきれいさを「マフラーから何が出るか」で測る習慣を身につけてきた。排ガス規制、エコカー減税、電動化。すべて、燃やした先の煙を減らす戦いだった。その戦いはかなり勝っている。
けれど、車が地球に触れているのは、マフラーの先ではない。タイヤの、路面と接するあのわずかな面積だ。そこでは今日も、走った距離のぶんだけゴムが削れ、目に見えない粉になって空気と水へ散っていく。重い車ほど、たくさん。そしてその粉には、川の魚を殺すほどの薬品が混ざっていることがある。
これは、誰かを責めて終わる話ではない。タイヤなしで車は走れないし、6PPDにはひび割れからドライバーを守る役目もある。多くのものごとがそうであるように、便利さと副作用は同じゴムに練り込まれている。
ただ、次にタイヤ交換で「そろそろ溝が」と言われたとき、あるいは静かな電気自動車がすっと横を通り過ぎたとき、少しだけ足元を想像してみてほしい。減ったぶんのゴムは、消えてなくなったわけではない。どこかの空気に、側溝に、川に、そして海に、ちゃんと移動している。私たちが毎日踏みつけている黒い輪は、思っていたよりずっと饒舌に、世界とつながっている。
参照元:
- UK Air Quality Expert Group「Non-Exhaust Emissions from Road Traffic」(2019年、英国環境・食料・農村地域省 Defra)
- OECD「Non-exhaust Particulate Emissions from Road Transport」(2020年)
- Kole et al.「Wear and Tear of Tyres: A Stealthy Source of Microplastics in the Environment」(International Journal of Environmental Research and Public Health, 2017年)
- Timmers & Achten「Non-exhaust PM emissions from electric vehicles」(Atmospheric Environment, 2016年)
- Tian et al.「A ubiquitous tire rubber–derived chemical induces acute mortality in coho salmon」(Science, 2021年)
- 環境省「日本の海洋プラスチックごみ流出量の推計」(2024年度検討結果)
- 国立環境研究所「日本各地におけるタイヤ由来マイクロプラスチックによる汚染状況の解明」(2025年8月)
- 欧州連合 排ガス規制 Regulation (EU) 2024/1257(Euro 7、2024年採択)
- 朝日新聞「マイクロプラ汚染、タイヤからも」(2025年4月25日)























