「ライドシェア」と聞いてアプリを思い浮かべたあなたへ。日本で実際に走っているのは、隣のおじいさんのワゴン車だった
スマホのアプリを思い浮かべるあなたへ。日本で実際に走っているのは、隣のおじいさんのワゴン車だった。地方で増える「公共ライドシェア」の実態と、交通空白地帯の厳しい現実を描く。
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- 実は「ライドシェア」は日本に二種類ある
- 全国の自治体の8割超が「足が足りない」と手を挙げた
- 「ふくふく号」という名の助け合い
- それでも、この仕組みは綱渡りである
- 「車を持つ・持たない」は、いつか必ず自分の問題になる
「ライドシェア」という言葉から、何を思い浮かべるだろうか。
スマホの画面に車のアイコンが近づいてくる。あと3分で到着。運転してくるのはアプリに登録した見知らぬ誰か。海外旅行でUberを使った人なら、あの感覚を思い出すかもしれない。テクノロジーが既存のタクシー業界に殴り込みをかける、いかにもシリコンバレー的な話。日本でもようやく解禁された、便利で新しいサービス。だいたいそんなイメージではないだろうか。
ところが、いま日本の地方でじわじわと増えている「ライドシェア」の現場をのぞくと、そこにあるのは少し違う光景だ。10人乗りのワゴン車を運転しているのは、二つ隣の集落に住むおじいさん。乗っているのは、顔見知りの90代女性。料金は片道300円。配車アプリどころか、予約は電話。
これは新しいテクノロジーの話ではない。むしろ、私たちが一度は手放したはずの「ご近所の助け合い」が、制度の力を借りて戻ってきた話なのだ。なぜそんなことになっているのか。少し付き合ってほしい。
実は「ライドシェア」は日本に二種類ある
混乱の元は、同じ「ライドシェア」という言葉が、日本では性格の違う二つの制度を指していることにある。
ひとつは「日本版ライドシェア」。これは2024年3月に国がつくった仕組みで、タクシー会社の管理のもとで、一般の人が自分の車を使って客を運ぶ。配車アプリのデータからタクシーが足りない地域や時間帯を割り出し、その不足分を埋める。多くの人が想像する「アプリで呼ぶライドシェア」に近いのはこちらだ。都市部や観光地の、タクシーがつかまらない夜などを念頭に置いている。
もうひとつが「公共ライドシェア」。これは道路運送法という法律の条文(78条2号)に基づくもので、正式には「交通空白地有償運送」と呼ばれる。バスもタクシーも成り立たないような地域で、市町村やNPO法人が主体となり、住民の自家用車を使って人を運ぶ。営利目的ではなく、あくまで地域の足を確保するための仕組みだ。
この二つ、見た目は似ているが中身はかなり違う。日本版ライドシェアの担い手がタクシー会社に管理される「半分プロ」だとすれば、公共ライドシェアの担い手は、文字どおりその辺に住んでいる住民である。二種免許(プロのドライバー向けの免許)は要らない。普通免許に加えて、国土交通省が定める講習を受ければ、お年寄りを乗せて走れる。
つまり地方で増えているワゴン車の正体は、テック企業のサービスではなく、「住民が住民を運ぶ、制度化された助け合い」なのだ。
全国の自治体の8割超が「足が足りない」と手を挙げた
なぜ、こんな手作りの仕組みがいま必要とされているのか。
国土交通省は2025年、全国1,741のすべての市町村を対象に、「交通空白」のリストアップ調査を行った。交通空白とは、誰もが使える移動の手段がない、あるいは使いづらい地域のことだ。この調査には、3月末時点で1,473の自治体が回答している。回答率はおよそ85%。多くの自治体が「うちの地域には移動の足が足りない」と、自ら手を挙げた格好になる。
背景にあるのは、バスとタクシーの静かな後退である。
たとえば神奈川県鎌倉市。観光地として有名なあの街でさえ、大船駅から鎌倉山方面のバス便は、2023年3月の39本から17本へと半分以下に減った。最終バスが駅を出る時刻も、1時間20分早まって午後9時になった。市が深夜0時の駅前を調べると、タクシー待ちの列に毎回40人が並んでいたという。観光地ですらこうなのだから、人口の少ない山あいの集落はなおさらだ。
担い手の数も細っている。国土交通省の白書によれば、タクシーの運転手は2019年度から2022年度までの間に、全国で約5万人減った。コロナ禍で客が消え、その間に高齢の運転手が次々とハンドルを置いた。賃上げなどの努力で2023年春に底を打ち、いまは持ち直しつつあるとされるが、いったん辞めた人や引退した人は簡単には戻らない。バスの運転手も同じ期間に約2.4万人減っている。
需要側(移動したい人)も供給側(運ぶ人)も、両方が痩せていく。プロに任せておけば移動が確保できる、という前提そのものが崩れかけている。だから自治体は、住民自身を運転手にするしかなくなった。これが、おじいさんが運転するワゴン車の出てきた事情である。
「ふくふく号」という名の助け合い
抽象的な制度の話を、ひとつの車に着地させてみよう。
奈良県天理市の福住地域では、2026年5月から「ふくふく号」という10人乗りのワゴン車が走り始めた。市の補助金で買った車を、地元の「福の住む里協議会」という住民組織が運行する。運転手は、二種免許を持っているか、講習を受けた住民15人が交代で務める。
公民館や小中学校など9カ所の停留所と、市役所や病院、駅とを結ぶ。平日の早朝から夜まで、1日4往復。運賃は片道300円。さらに買い物のための特別便もあって、こちらは近くのスーパーまで片道150円で運んでくれる。
面白いのは、便の組み方に地域の生活がそのまま反映されていることだ。運行を始める前、協議会が住民に話を聞いたところ、「高校生の子どもの通学で、毎日駅まで送り迎えするのが負担だ」という声があった。そこで、朝6時台に出る便をわざわざ設けた。プロの交通事業者の効率計算からは、まず出てこない発想だろう。隣人が隣人の困りごとを知っているからこそ組める時刻表である。
似たような車は各地で走り出している。徳島県那賀町の谷山集落は、わずか8世帯8人が暮らす場所だ。かつて通っていた路線バスは2024年9月末で廃止された。いまは住民が運転する「ボランティアタクシー」が、病院に通う80代の女性を家の前まで送り迎えしている。「家まで送り迎えしてくれて助かる」と、その女性は言う。
それでも、この仕組みは綱渡りである
ここまで読むと、心温まる地域再生の物語のように聞こえるかもしれない。だが、現実はそう甘くない。
鹿児島県阿久根市で行われたライドシェアの実証実験の数字は、冷や水を浴びせてくる。深夜帯の移動を支えようと始めたこの取り組みは、8日間で利用がわずか17件。車が実際に動いていた時間は、合計でたった2時間50分だった。需要が広い範囲に散らばる生活圏では、車を効率よく動かすのが極めて難しい。これでは事業として成り立たせるのは厳しい。
阿久根市の調査では、80代の4割を超える人が、それでも免許を返納しない道を選んでいた。「深夜にタクシーなんて来ません」という住民の言葉が、すべてを物語っている。代わりの足がないなら、危なくても自分で運転し続けるしかない。免許返納を勧める前に、返納したあとの移動をどうするのか。その問いに、まだ社会は十分に答えられていない。
担い手の確保も難しい。国交省の調査で自治体が挙げた悩みは、予算の不足、担当職員の人手不足、そして既存のタクシー・バス事業者との関係をどう調整するか、といったものだった。住民に運転を頼むといっても、その住民だって高齢化している。今日運転している「隣のおじいさん」が、10年後も運転できる保証はない。
つまりこれは、便利になった話ではない。プロに任せきれなくなった結果、コミュニティが自分たちの足を手作りで編み直そうとしている、ぎりぎりの挑戦なのだ。国は2025年5月、「交通空白」解消の集中対策に乗り出すと宣言した。裏を返せば、それだけ事態が切迫しているということでもある。
「車を持つ・持たない」は、いつか必ず自分の問題になる
車を日常的に運転している人にとって、ここまでの話は遠い世界のことに思えるかもしれない。山あいの集落、過疎の町、高齢者の通院。自分には関係ない、と。
けれど、思い出してほしい。私たちのほとんどは、人生のどこかで必ず「運転しない側」に回る。子どもの頃は親に送ってもらった。年を取れば、いつか免許を手放す日が来る。けがや病気で、しばらく運転できなくなることもある。「車を持っている自分」は、人生の一時期の姿でしかない。
そう考えると、あの10人乗りワゴンは他人事ではなくなる。あれは、移動の自由を失いかけた人たちが、それでも病院に行き、買い物に行き、孫に会いに行くために編み出した仕組みだ。そして同じ問いは、いずれ自分の親に、やがて自分自身に降りかかってくる。
「ライドシェア」と聞いてスマホのアプリを思い浮かべたとき、私たちは無意識に「移動はお金を払えば誰かが用意してくれるもの」と前提していた。だが日本の地方が突きつけているのは、その前提が成り立たない場所が、もう全国の8割を超える自治体に広がっているという現実だ。
隣のおじいさんが運転するワゴン車は、便利さの象徴ではない。移動という当たり前を、誰が、どうやって支えるのか。その問いに、地域がそれぞれの形で出した、不格好で、けれど切実な答えなのである。次に「ライドシェア」という言葉を見かけたら、シリコンバレーの配車アプリではなく、片道300円のワゴン車を少しだけ思い浮かべてみてほしい。
参照元: 国土交通省「公共交通政策:国土交通省『交通空白』解消本部」 / 国土交通省「『交通空白』解消に向けた取組方針2025」 および同本部の取組状況資料 / 国土交通白書2025 / 産経新聞・奈良新聞 / 徳島新聞 / Merkmal / 朝日新聞
























