バスの「乗る人がいない」の裏で、もっと静かに進んでいたこと。あの運転席に座る人が、いなくなりつつある
乗る人がいないから路線が消える──そう思っていたら、もうひとつの主役がいた。バス運転手が足りない。2030年に3割不足する運転席のリアルと、私たちがいつか払うことになる「値段」の話。
- Chapter
- 2030年、運転手は「3割」足りなくなる
- 「給料は普通」なのに、なぜ人が来ないのか
- 「年収を上げればいい」が、そう簡単ではない理由
- あの運転席に座っているのは、誰なのか
- 「乗らないけど、いてほしい」の値段
朝のバス停で時刻表を見て、来るはずのバスが来ないと、私たちはまず「赤字なんだろうな」と思う。
乗る人が減って、採算が合わなくなって、路線が消えていく。ニュースもそう伝える。実際、国土交通省は今年6月、公共交通が使いにくい「交通空白」が全国892の市区町村、2740カ所に広がったと発表した。前年の2057カ所から1年で683カ所増えた計算で、対象地域に住む人は日本の人口の1割を超えるという。
数字だけ見れば、これは「人が減った町の話」に見える。けれど、廃止や減便の現場で起きていることを少しだけ近づいて見ると、もうひとつの主役がいる。乗る人ではなく、運転する人だ。
バスが来なくなる理由の上位には、もうずっと前から「利用者の減少」と並んで「運転士不足」が居座っている。むしろ近年は、乗る人がいないからではなく、運転する人がいないから本数を減らす、という会社が増えている。あの大きな車体を動かす運転席に座る人が、静かに、しかし確実に足りなくなっている。
2030年、運転手は「3割」足りなくなる
バス会社でつくる日本バス協会は、衝撃的な試算を出している。2022年並みの輸送サービスを維持するには全国で約12万9千人の運転士が必要なのに、2030年度には約9万3千人しか確保できない見込みだという。差し引き、約3万6千人の不足。割合にすると、必要な人数のおよそ3割が足りない計算になる。
3割と言われてもピンとこないかもしれない。これは「今あるバスのうち3本に1本くらいは、運転する人がいなくて動かせなくなるかもしれない」という規模の話だと考えると、急に生々しくなる。
あなたが普段は使わない路線でも、家族が病院に通うのに使っていたり、子どもが部活帰りに乗っていたりする。その「いつか必要になるかもしれない一本」が、運転席の空席のせいで消えていく。
人手不足の度合いは、求人の数字にもはっきり出ている。厚生労働省の統計をもとにした集計では、令和6年度のバス運転手の有効求人倍率は2.07。これは求職者1人に対して2件以上の求人がある状態で、全職業平均の1.14を大きく上回る。会社は喉から手が出るほど人を欲しがっているのに、来てくれない。
京都市の市バスでは、令和6年の採用試験で70人を採る予定だったのに、集まったのは47人だったと報じられている。公務員として比較的安定しているはずの公営バスですら、定員が埋まらない。
「給料は普通」なのに、なぜ人が来ないのか
ここで多くの人が首をかしげる。「そんなに足りないなら、給料がよっぽど安いんじゃないの」と。
ところが、数字を素直に見ると、そう単純でもない。令和6年の賃金構造基本統計調査によると、バス運転手の平均年収は約461万円。これは給与所得者全体の平均と、だいたい同じくらいの水準である。「とんでもなく安い」わけではない。少なくとも額面の年収だけを切り取れば、平凡な、普通の数字に見える。
からくりは、その年収を「どれだけの時間と引き換えに得ているか」にある。
国が経済政策の会議に出した資料では、バスやタクシーの運転者は全職業の平均より労働時間がおよそ1割長く、それでいて年間賃金は約1〜2割低い、と整理されている。
つまり、同じくらいの年収に見えても、それは長い拘束時間を前提にようやく成り立っている数字なのだ。早朝に家を出て、昼に長い空き時間をはさみ、夜遅くに戻る。勤務は不規則で、土日も関係ない。時給に直して並べ直すと、「普通の年収」は途端に色あせる。
このことは、辞めていく人の理由にも表れている。交通経済研究所が2026年に公表した事業者向け調査では、約7割のバス会社で運転士の中途退職が起きており、その理由として多いのが「低賃金」「長時間労働」「不規則勤務」だった。
しかも辞めた人の転職先として最も多いのが、別のバス会社だという。バスの運転そのものが嫌になったのではなく、「もう少しましな条件のバス会社」を探して移っていく。仕事は好きでも、暮らしが続かない。そういう人が少なくないということだ。
「年収を上げればいい」が、そう簡単ではない理由
では給料を上げればいい、という話になる。実際、各社は賃上げや労働時間の短縮に動いている。だが、ここに構造的な壁がある。
路線バスという商売は、もともとほとんど儲からない。各種の調査によれば、路線バス事業者の9割以上が赤字とされる。決まった時刻に決まったルートを走る以上、お客が少ない時間帯でも便を出さなければならず、効率を上げる余地が小さい。そしてバスを走らせる費用の半分以上は人件費が占める。つまり、運転手の給料を上げることは、ただでさえ赤字の事業のいちばん大きなコストを、さらにふくらませることを意味する。
これまでバス会社は、運賃をむやみに上げられない規制のなかで、なんとか赤字を抑えるために人件費を切り詰めてきた。長い労働時間を前提にした働き方で、ぎりぎりの賃金で人を回す。その「やりくり」が限界に達したのが、ちょうど今なのだ。2024年4月からは、運転手の時間外労働に上限規制がかかった(いわゆる「2024年問題」)。働き手の健康を守るための当然の規制だが、これは裏を返せば「一人の運転手に長時間働いてもらってしのぐ」という従来のやりくりが、もう使えなくなったということでもある。
国は手も打っている。2022年5月には、バスやタクシーに必要な第二種免許を取れる年齢を、原則21歳から19歳に引き下げた。若い人に早く運転席へ来てもらうための制度変更だ。それでも、現場の平均年齢は53歳前後、地方では56〜57歳という調査結果もある。入り口を広げても、入ってくる若者より、定年で抜けていくベテランのほうが多い。バケツの底に空いた穴のほうが、注ぎ口より大きい状態が続いている。
あの運転席に座っているのは、誰なのか
少しだけ、想像してみてほしい。
あなたが乗らない、がらがらの地方路線。早朝の始発に、白髪まじりの運転手が一人で乗り込み、誰も乗ってこないバス停をいくつも通り過ぎ、それでも時刻表どおりに律儀に停まっていく。彼が運んでいるのは、たまに乗ってくる高校生と、週に何度か病院へ通うお年寄りだ。その路線は会社にとって赤字で、彼の給料は世間並みに見えて拘束時間は長く、同年代の友人はとっくに別の仕事に移っている。それでも彼がハンドルを握り続けているのは、「自分が辞めたら、あのお年寄りは病院へ行けなくなる」と知っているからだったりする。
交通空白の話を「人が減った町の問題」として遠くから眺めているうちは、それは自分とは関係のないニュースだ。けれど視点をひとつずらして、運転席に座る一人の人間の人生時間に目をやると、まったく違う風景が見えてくる。私たちが200円や300円で買っているのは、目的地までの距離だけではない。誰かが早朝に起き、長い拘束に耐え、決して高くない待遇で握り続けてくれているハンドルの時間でもある。
「乗らないけど、いてほしい」の値段
ここからが、車に縁のない人にも関わってくる話だ。
バスを動かしているコストの半分以上が人件費だという事実は、ひとつの不都合な真実を含んでいる。運転手にまともな待遇を払おうとすればするほど、運賃を上げるか、税金で支えるしかなくなる、ということだ。日本では長らく、公共交通は運賃収入で自力でまかなうのが原則とされ、赤字の穴埋めは例外的にしか認められてこなかった。だから事業者は人件費を削り、運転手はその割を食ってきた。
最近の制度の動きは、この前提を少しずつ変えつつある。国は2025〜27年度を集中対策期間として、これまでの「赤字路線の穴埋め」型の補助から、地域ぐるみで交通を作り直す取り組みへ支援の軸を移している。スクールバスや病院の送迎車を住民の足にも使えるようにする法律も、今年6月に成立した。要するに、「バスは民間が運賃で勝手にやるもの」から「町のみんなで支えるインフラ」へと、考え方そのものが組み替えられようとしている。
その費用は、めぐりめぐって私たちの運賃や税金として返ってくる。値上げのニュースを見れば、誰だって反射的に「また上がるのか」と渋い顔をする。けれど、その値段の向こうに運転席の人がいると知っていると、見え方が少し変わる。安いバス代は、誰かの長時間労働と低い待遇によって支えられてきた「請求の先送り」だったのかもしれない、と。
そして、これは「バスに乗らない人」にこそ効いてくる。今は自分の車で自由に動けても、人は誰でもいつか運転をやめる日が来る。そのとき、自分の町にまだバスが走っているかどうかは、走っていた頃の私たちが、運転席の人をどれだけ大事にしてきたかにかかっている。乗る人がいなくて消えるのではなく、運転する人がいなくて消える。その静かな現実を知っておくことは、いつか乗る側に回る自分への、ささやかな備えでもある。
時刻表どおりに来るバスは、当たり前ではない。あの運転席には、確かに一人の人がいる。その椅子が空っぽになる前に、私たちはまだ何かを選べる。
参照元: 国土交通省「交通空白の現状」関連発表(2026年6月、共同通信・北海道新聞・読売新聞などの報道)、日本バス協会 2030年度の運転士不足試算(日本経済新聞ほか報道)、厚生労働省「令和6年 賃金構造基本統計調査」(バス運転手の年収・労働時間・平均年齢、有効求人倍率は職業安定業務統計)、内閣官房「新しい資本主義実現会議」提出資料(バス・タクシー運転者の労働時間・賃金比較)、一般財団法人交通経済研究所「バス事業の現状に関する調査」集計結果(2026年5月)、警察庁・国土交通省 第二種運転免許の受験資格見直し(2022年5月13日施行)、改正地域公共交通活性化再生法の成立(2026年6月、報道各社)


























