日本の道が「白い車」であふれているのは、あなたの好みではなく、まだ会っていない誰かの好みで決まっている
日本の道路をモノクロに染める「白い車」の大定着。その背景には「車と自分の関係」だけでなく、「車とまだ会っていない誰かの関係」があった──。中古車査定に潜む色の値段、売却を見越した購買心理から見える景色を描く。
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- 「白は無難だから」で説明を止めると、大事なところを見逃す
- 本当の主役は、あなたがその車を手放す日に現れる
- 私たちは、見知らぬ買い手の目で自分の車を選んでいる
- 「無難」は、自由を手放すことなのか
信号待ちで、ふと前後左右の車を見渡してみてほしい。
前も白。右も白。左は黒。後ろはシルバー。たまに濃いグレー。よく見ると、赤や青や黄色の車を一台探すほうが難しい。私たちはこの光景を、あまりに見慣れているせいで、そういうものだと思っている。街の車の色が偏っていることに、そもそも気づいていない。
けれど、数字にするとその偏りは異様なほどだ。
日本で登録されている乗用車のうち、白系はおよそ49%。ほぼ半分が白だ。これに黒とグレー系を足すと、無彩色と呼ばれる白・黒・灰の三色だけで、全体の8割を超える。残りの2割弱に、青も赤も茶も緑も紫も黄色も、世界中のありとあらゆる色が押し込められている。日本の道は、ほとんどモノクロ写真に近い。
なぜ、これほどまでに私たちは同じ色を選ぶのだろうか。
「白は無難だから」で説明を止めると、大事なところを見逃す
白い車が多い理由を聞くと、たいていの人はこう答える。「無難だから」「飽きないから」「清潔感があるから」。
どれも正しい。そして、それだけでは半分しか説明できていない。
まず、実用面での合理性は確かにある。夏の車内温度がわかりやすい。同じ車種の白と黒を炎天下に並べて計測した実験では、屋根の表面温度で黒が白より7〜8度も高くなった。真夏に日なたへ置かれた黒い車の車内は、対策なしだと50度を超える世界だ。白は日射を跳ね返す。乗り込んだ瞬間の「うっ」が、色ひとつで少し和らぐ。
それに、日本人は世界的に見ても車をきれいに保つ。白は汚れが見えやすいぶん、手入れの意識が保たれる。シルバーは砂ぼこりも洗車機の細かい傷も目立ちにくい。仕事で使う商用車や社用車も、清潔感と会社の看板を背負う都合から、圧倒的に白が選ばれてきた。街を走る軽トラックやバンが判で押したように白いのは、そういう事情だ。
ここまでは、いわば「車と自分」の話だ。暑さ、汚れ、仕事。自分がその車をどう使うか、という視点で色を選んでいる。
本当の主役は、あなたがその車を手放す日に現れる
中古車の買い取りや下取りの現場では、色によって値段がはっきり動く。
大手の中古車情報サイトや買い取り事業者の説明を合わせて読むと、同じ車種・同じ年式・同じ走行距離でも、白や黒と、赤や青や紫のような色とでは、査定額に数万円から、高級ミニバンのような車種では数十万円もの差がつくことがあるという。ある事業者は、色による買い取り価格の差を「6万円から30万円が相場」と説明している。人気のミニバンで、白・黒とそれ以外で60万円以上ひらいた実例も紹介されている。
つまり、車を売るときになって、色は「値札」になる。
なぜ白と黒が高く売れるのか。それは「多くの人に好まれる色だから」ではない。もう一段深い。中古車を仕入れる業者は、その車を次に買ってくれる人がすぐ見つかるかどうかで値付けをする。誰にでも売れそうな色は、在庫として抱えるリスクが低い。だから高く買える。逆に、はっきり好みが分かれる色は、買い手が限られる。魅力的でも、売れ残るかもしれない。だから安く見積もる。
ここに、静かな仕掛けがある。
白が高く売れる。だから人は「売るときに損しない色」として白を選ぶ。白を選ぶ人が増える。街に白が増える。中古市場に白があふれ、白なら確実にさばけるという実績がさらに積み上がる。だから白はいっそう高く売れる。だからまた白が選ばれる。
人気が査定を押し上げ、査定が人気をつくる。ぐるぐると回り続ける輪だ。誰かが仕組んだわけではない。一人ひとりが「損をしたくない」という、ごく当たり前の判断をしただけだ。その小さな判断が何千万台ぶんも積み重なって、日本の道からいつのまにか色を抜いていった。
私たちは、見知らぬ買い手の目で自分の車を選んでいる
ここで、少し立ち止まってみたい。
白を選ぶとき、私たちは何を基準にしているのだろうか。
「自分がこの色を好きだから」ではない。少なくとも、それだけではない。頭の片隅にいるのは、数年後、この車を手放すときに現れる、まだ顔も名前も知らない次の買い手だ。その人が気に入る色を、今の自分が先回りして選んでいる。
言い換えると、私たちは新車を買うその瞬間に、もう手放す日のことを考えている。まだ一度も運転していない車の「終わり」から逆算して、色を決めている。これは、なかなかに不思議なことだ。服を買うとき、フリマアプリで高く売れる色かどうかを最優先に選ぶ人は、そう多くない。家電も、家具も、たいていは今の自分が使う前提で選ぶ。ところが車では、多くの人が自然と「将来の他人の目」を最優先にする。
車が高い買い物で、数年で買い替える前提の、他人に引き継がれていく道具だからだ。日本では車は一生モノというより、乗り継いでいくものとして扱われてきた。だから、まだ会っていない次の持ち主が、いつも助手席に座っているような感覚がある。
パールホワイトに数万円のオプション代を払うのも、同じ心理の延長にある。あの白は、下地の上にパールの層を重ね、さらにクリアで覆う三層塗りで、普通の白より工程が多く、ぶつけたときの色合わせも難しい。それでも人が余分に払うのは、質感が高く見えるからだけではない。三万円払っておけば、売るときにそのぶん以上で返ってくる、という計算が働くからだ。将来の買い手が「ただの白より、パールのほうがいい」と言ってくれることに、今、賭けている。
「無難」は、自由を手放すことなのか
こう書くと、なんだか味気ない話に聞こえるかもしれない。自分の好きな色ではなく、他人が好みそうな色を選ぶ。それは自由の放棄ではないか、と。
でも、私はそうは思わない。
車の色を「売るときの値段」で選ぶという行為は、その車を自分だけの持ち物としてではなく、いつか誰かに手渡すものとして扱っている、ということでもある。数年後の見知らぬ誰かと、自分は同じ一台を共有している。所有しているようでいて、実は預かっている。日本の道がモノクロに近いのは、みんながこっそり「次の人」のことを思いやっている証拠だ、と言えなくもない。ずいぶん行儀のいい、譲り合いの風景なのだ。
その上で、街にたまに走っている真っ赤な車や、鮮やかな青の車を思い出してほしい。あれは、査定の輪から一歩外に出た人たちだ。売るときに数万円、数十万円ぶん損をするかもしれない。それを承知で、今の自分が好きな色を選んだ。将来の他人より、今日の自分を優先した。数の上では少数派だが、車の色に関するかぎり、いちばん自由なのは彼らかもしれない。
次に車を選ぶ機会があったら、カタログの色見本を前にして、一度だけ自分に聞いてみてほしい。この白は、私が好きな白だろうか。それとも、まだ会っていない誰かのための白だろうか。
どちらを選んでもいい。ただ、その二つが別のものだと気づいているかどうかで、色見本の眺め方は、たぶん少しだけ変わる。
参照元: 一般財団法人 自動車検査登録情報協会(AIRIA)「塗色別乗用車保有台数」2025年3月末時点、Axalta「2025年版 世界自動車人気色調査報告書」(2026年4月発表)、グーネット(中古車情報サイト)ボディカラーと買い取り価格に関する解説、オートバックス ボディカラー別 実車温度計測(白・黒 同一車種比較)、JAF「真夏の車内温度」に関するユーザーテスト























