新車が売れるとき、いちばん安いグレードから売れない。「下から2番目」を選ぶあなたの頭の中で起きていること
一番安いグレードは、なぜ思ったほど売れないのか。車の値段表に潜む人間の心理を、行動経済学の「極端の回避」と「アンカリング」から解きほぐす。
車の値段の話を、少しだけしたい。とはいえスペックの比較ではない。あなたが外食のメニューを開いたときや、家電量販店で洗濯機を選ぶときに、無意識にやっていることの話だ。車は、その心理がいちばんはっきり数字に出る場所というだけである。
まず、この夏の出来事を三つ並べる。
日産が6月に出した新型のコンパクトSUV「キックス」。8月上旬までの初期受注を見ると、価格を抑えた一番下のグレードは全体の14%しか出ていない。残りの86%は、装備を足した上位グレードの二つに集中した。日産の担当者自身が「低価格グレードを入口にと思っていたのに、上級が人気だったのは意外だった」と語っている。
同じ頃、中国のBYDが日本の軽自動車規格に合わせて作った初めての電気自動車「ラッコ」を出した。214万円から249万円まで三段階の値段がある。発売からおよそ2週間で1000台あまりの注文が入り、そのうち約8割が、いちばん高い最上級モデルだった。
フランスのシトロエンが7月に投入したコンパクトSUVは、輸入車としては安い399万円という値札を戦略的に掲げていた。「安さ」を売りにする作戦だ。
別々のメーカー、別々の国、別々の値段。それなのに、共通して見えてくるものがある。一番安いグレードは、思ったほど売れない。 そして作り手のほうも「安さで入口を作る」つもりが、実際には高いほうへ人が流れていく。
「へえ、車を買う人はお金に余裕があるんだな」で片づけるのは早い。ここで起きているのは財布の中身の話ではなく、人間の頭の中のクセの話だからだ。そしてそのクセは、あなたがランチのセットを選ぶときにも、まったく同じように働いている。
「一番安いの」を選べない、という感覚
思い出してほしい。うなぎ屋や寿司屋で、メニューに「松・竹・梅」と三つのコースが並んでいるとき、あなたはどれを選んできただろうか。
多くの人が、真ん中の「竹」を選ぶ。これはよく知られた話で、飲食店が経験的にたどり着いた値付けの技でもある。理由をたどると、二つの気持ちが同時に働いている。
一つは「一番高いのは、さすがに贅沢すぎる気がする」。もう一つは「でも、一番安いのを選ぶと、なんだかケチだと思われそう」。この二つに挟まれて、人は無意識に真ん中へ寄っていく。行動経済学ではこれを、両端の極端な選択肢を避けるという意味で「極端の回避」と呼ぶ。1992年にサイモンソンとトベルスキーという二人の研究者が、複数の実験で確かめた現象だ。
ここで大事なのは、一番安い選択肢が「損」だから避けられるのではない、という点だ。避けられる本当の理由は、「一番下を選んだ」という事実が、自分の中で説明しにくいことにある。
竹を選べば「まあ、真ん中でいいかな」と、自分にも誰にも説明がつく。だが梅を選ぶと、心のどこかで「安さで妥協した」という感覚が残る。人は、あとで自分の選択を振り返ったとき、うまく理由を語れる選択肢のほうを好む。車のグレード選びで一番下がなかなか出ないのは、この「理由の語りやすさ」がかなり効いている。
高い値札が、その隣の値札を安く見せる
もう一つ、値段そのものが仕掛ける錯覚がある。
たとえば軽自動車のラッコには、214万円・230万円台・249万円という三つの値段があった。ここでもし249万円という一番上の数字が視界に入っていると、その手前のモデルの値段が、実際より「お手頃」に見えてくる。
これは「アンカリング」と呼ばれる、値段の見え方のクセだ。人は絶対的な金額を判断するのが実は苦手で、目の前にある別の数字を「基準の錨(いかり)」にして、高い安いを感じ取る。だから店が本当に売りたい価格帯より上に、あえて高いモデルを一つ置いておくと、売りたい価格帯が急に手頃に見えてくる。
車の見積書でも同じことが起きる。まず本体価格という大きな数字を見せられたあとだと、数万円のオプションが「まあ、これくらいなら」と小さく感じられる。最初に大きな数字を見ているせいで、そのあとの金額の感覚がまるごと引き上げられているのだ。
つまり、メーカーが用意する一番高いグレードは、それ自体をたくさん売るためというより、その隣を選びやすくするための「基準点」として置かれている面がある。一番上を見て「さすがにそこまでは」と思った人が、そのすぐ下に着地する。結果として、真ん中から上が売れていく。
ただし、発売直後の数字には「からくり」がある
ここまで読むと、「なるほど、だから車は高いグレードが売れるのか」と結論づけたくなる。だが、正直に一つ種明かしをしておきたい。今回のキックスやラッコの数字は、発売直後の初期受注だという点だ。ここには、心理のクセとは別の事情が混ざっている。
新型車が出たとき、真っ先に買うのは誰か。それは、その車を前から待っていた濃いファンや、装備にこだわりのある層だ。彼らは「せっかく買うなら良いやつを」と考えるから、当然、上位グレードに寄る。実際、自動車メディアも「モデルチェンジ直後は、たいていの車が上位グレードから売れていく」と指摘している。
だから「発売2週間で8割が上位グレード」という数字を、そのまま「日本人はみんな高い車を選ぶ」と読むのは行き過ぎだ。時間がたって、価格を重視する普通の買い手が増えてくると、この比率はもっと下のグレードへ移っていく可能性が高い。
ここは冷静に切り分けておきたい。「一番下が売れにくい」という心理のクセは、確かに実在する。だがキックスの「上位グレードが8割」という極端な数字のほうは、発売直後という特殊な時期の効果が大きい。 二つは別の話であり、片方だけを見て断定すると事実を見誤る。
それでも、入口として用意されたはずの最廉価グレードが1割台にとどまり、作り手すら「意外だった」と口にするという事実は、残る。人は、思っているほど「一番安いの」を選ばない。
これは、車を買わない人にも起きている
さて、ここからが本題だ。この「一番下を選べない」という感覚は、車という高い買い物に限った話ではない。
動画配信サービスの料金プランを思い出してほしい。たいてい三段階くらいの値段が並んでいて、一番安いプランには「広告が入る」「画質が低い」といった、ちょっとした我慢がついている。多くの人は、そこで一段上を選ぶ。会社は、一番安いプランを「あえて少し不便に」しておくことで、あなたを真ん中へ押し出している。
家電量販店の洗濯機や冷蔵庫でも同じだ。同じシリーズで三つ並んでいると、店員がすすめるのはたいてい真ん中か、その一つ上。一番下は「これは機能を絞ったモデルなので」と、やんわり選ばせないように語られる。
外食のコース、ワインリスト、スマホの容量、宿の部屋のランク。値段が三段階以上で並ぶ場所には、ほぼ必ずこの力が働いている。私たちは自分の意思で選んでいるつもりで、実は「三つ並べられた時点で、真ん中から上に寄るよう仕組まれている」。
この事実を知っておくと、何が変わるか。次にメニューやプランで悩んだとき、ほんの一瞬「自分は今、本当に必要だから上を選んでいるのか。それとも、一番下を選ぶのが気まずいから逃げているだけなのか」と問い直せる。
その一瞬があるだけで、選択は少し自由になる。一番下のグレードやプランが、自分の使い方には十分なこともある。「安いのを選ぶと損した気がする」という感覚は、多くの場合、損得ではなく気分の問題だからだ。
車のグレード表は、その気分がいちばん大きな金額で試される場所である。だからこそ、あの三段階の値札の前に立ったとき、少しだけ立ち止まってみる価値がある。あなたが「下から2番目」に手を伸ばすとき、それを選ばせているのは、あなたの必要だろうか。それとも、並べ方だろうか。
参照元: レスポンス「日産『キックス』受注1万1388台、上級グレードが86%」(2026年8月7日)・Car Watch / AUTOCAR JAPAN 各記事(日産キックス初期受注、2026年8月)・BYD Auto Japan プレスリリース「RACCO 受注状況」(2026年8月10日、PR TIMES 掲載)・日本経済新聞「BYD 軽EV『ラッコ』受注」(2026年8月)・東洋経済オンライン「シトロエン新型C3エアクロス ハイブリッド」(2026年8月8日)・Simonson, I., & Tversky, A. (1992) "Choice in Context: Tradeoff Contrast and Extremeness Aversion," Journal of Marketing Research 29(3)・Huber, J., Payne, J. W., & Puto, C. (1982) "Adding Asymmetrically Dominated Alternatives," Journal of Consumer Research 9(1)























