その渋滞、先頭には何もなかった。原因のない渋滞を、物理学者はたった22台の車で作ってみせた
原因のない渋滞「自然渋滞」を、物理学者たちは22台の車の実験で再現してみせた——その犯人は、あなたの何気ないブレーキである。
- Chapter
- 原因のない渋滞を、実験室で作った人たちがいる
- 犯人は、あなたの何気ないブレーキだ
- 「25台」を超えると、流れは質を変える
- 前に詰める人が渋滞を作り、空ける人が渋滞を消す
- 余白が、流れをなめらかにする
盆や年末の高速道路。何キロも続くノロノロ運転に巻き込まれて、イライラしながら一時間。やっと流れが戻ったと思って前を見ると、そこには何もない。事故の現場もない、工事もない、料金所の渋滞でもない。ただ、さっきまでの詰まりが嘘のように消えている。
この「抜けた瞬間、先頭に何もなかった」という経験に、覚えのある人は多いと思う。そして多くの人が、そのときこう考える。きっと見えないところに原因があったのだろう。たまたま私が通ったときには、もう片付いていただけだ、と。
ところが、交通を研究してきた人たちの答えは、もっと居心地が悪い。先頭には、本当に何もなかったのだ。事故も工事も合流もない。原因がないのに、渋滞だけがそこにあった。こういう詰まりを、研究者は「自然渋滞」と呼ぶ。英語では phantom traffic jam、直訳すれば「幽霊渋滞」だ。幽霊のように、原因という実体を持たないまま現れる。
原因のない渋滞を、実験室で作った人たちがいる
「原因がないのに渋滞する」と言われても、すぐには飲み込めない。渋滞といえば、どこかに栓がある。合流で車が割り込む、坂で速度が落ちる、事故で車線がふさがる。そういう「栓」があるから後ろが詰まる。それが私たちの常識だ。
その常識を、2008年に日本の物理学者たちが実験でひっくり返した。名古屋大学の杉山雄規氏や東京大学の西成活裕氏らのグループは、広い敷地に円形のコースを一本描いた。円周はおよそ230メートル。そこに22台の車を、等しい間隔で並べた。合流もない。坂もない。信号も、割り込みも、追い越しもない。ドライバーに出した指示はただ一つ、「前の車にぶつからない範囲で、時速30キロくらいを保って走り続けてください」。それだけだ。
渋滞の原因になりそうなものは、どこにもない。ぐるぐる回る22台が、きれいな等間隔を保ったまま回り続ける。理屈のうえではそうなるはずだった。
実際には、そうならなかった。走り始めて一分もしないうちに、車の群れのどこかに小さなよどみが生まれる。一台がほんの少し減速する。すると後ろの車は、それより少し強くブレーキを踏む。そのまた後ろは、もっと強く踏む。小さなためらいが、後ろに向かうほど大きくなり、やがて完全に停止してしまう一団ができる。止まって、また進んで、また止まる。あのノロノロ運転そのものが、原因が一つもない円の上に、勝手に生まれてしまった。
この実験の結果は、国際的な物理学の専門誌に発表された。タイトルを日本語にすると「ボトルネックのない渋滞」。ボトルネックとは、流れをせき止める「栓」のことだ。栓がないのに詰まる、という事実そのものが、論文の題名になっている。
犯人は、あなたの何気ないブレーキだ
では、原因がないなら、何が渋滞を生んでいるのか。犯人は、運転している一人ひとりの、ごく自然なふるまいだ。
人間は、前の車との距離を一定に保ち続けることができない。少し近づけば緩め、少し離れれば踏む。その微調整には、必ずわずかな遅れがある。前の車がブレーキを踏んでから、自分が気づいてブレーキを踏むまでの、コンマ数秒のずれ。この小さな遅れがあるせいで、人はたいてい「必要より少し強めに」ブレーキを踏んでしまう。
一台が少し強めに踏む。後ろはその動きを受けて、さらに少し強めに踏む。これが繰り返されると、最初はごく小さかった減速が、後ろに伝わるほど増幅していく。音の反響が重なって大きくなるように、ブレーキのさざ波が、列の後方で大きな壁になる。そして、ある地点で車は完全に止まる。止まった塊は、今度は列の流れとは逆向きに、ゆっくり後ろへ移動していく。
つまり自然渋滞は、どこか一点で発生して居座っているのではない。後ろへ後ろへと伝わっていく「波」なのだ。あなたが渋滞の先頭にたどり着いて「何もないじゃないか」と拍子抜けするのは、当然だった。先頭はとっくに動いていて、詰まりという波だけが、あなたの通り過ぎた後ろへと移っていったのだから。
「25台」を超えると、流れは質を変える
ここで面白いのは、この波がいつでも起きるわけではない、という点だ。車がまばらなら、一台が少しブレーキを踏んでも、後ろには伝わらずに消えていく。余裕があるからだ。ところが車が増えて、ある「混み具合」を超えた瞬間から、同じ小さなブレーキが消えずに増幅し始める。
研究者たちは、その境目をかなり具体的な数字でつかんでいる。高速道路の場合、だいたい1キロメートルあたり25台を超えると、流れは「詰まる側」へ性質を変えるとされる。西成氏は、この境目の密度は観測する場所が変わってもほぼ同じだと書いている。25台を車間距離に直すと、おおよそ40メートル。これより車間が詰まると、小さな揺らぎが波に育ち、40メートル以上あいていれば、揺らぎはやがて消えていく。
水を熱していくと、ある温度で突然ぼこぼこと沸き立つ瞬間がある。流れる水と沸き立つ水では、見た目も性質もまるで違う。交通も同じで、「25台」という境目を越えると、同じ道路・同じドライバーなのに、流れの性質そのものが別物に切り替わる。渋滞は、少しずつ悪化していくのではなく、ある一線でカチッと相が変わる現象なのだ。
日本の高速道路の渋滞を見ると、この話が絵空事でないことがわかる。高速道路を運営するNEXCO東日本によれば、同社の管内で起きる渋滞のうち、事故や工事ではなく「交通が集中したこと」による渋滞が全体の7割以上を占める。しかもその発生場所の多くは、ゆるやかに下ってからゆるやかに上りに転じる「サグ部」と呼ばれる地形や、ゆるい上り坂だという。国の研究機関も、都市間高速の渋滞の約6割がサグ部で起きていると報告している。
サグや上り坂では、ドライバーは自分では気づかないうちに少しだけ速度を落とす。目で見てもほとんどわからない、ゆるやかな勾配。その小さな減速が、車が十分に混んでいるときには波の引き金になる。坂という「きっかけ」はあっても、事故や故障のような「栓」はない。先頭に行っても、やっぱり何もないのである。
前に詰める人が渋滞を作り、空ける人が渋滞を消す
ここからの話は、もっと生活に近い。この仕組みがわかると、渋滞のときに得をする行動と損をする行動が、常識とは逆さまになる。
渋滞でのろのろ進んでいるとき、前の車との間が少しでも空くと、私たちはつい詰めたくなる。空けておくと横から割り込まれる気がするし、なんとなく損をした気分になる。だから、みんなが前へ前へと車間を詰める。ところがこの「詰める」行動こそ、ブレーキの波を増幅させ、渋滞を強くし、長引かせている張本人だ。詰めれば詰めるほど、一人のブレーキが後ろへ鋭く伝わる。
逆に、あえて車間をたっぷり空けて、前が多少減速しても自分は急ブレーキを踏まずに済むよう走る人がいると、何が起きるか。その人は、自分の手前で生まれたブレーキの波を、空けた車間というクッションで吸い取ってしまう。波が自分のところで弱まり、後ろへ伝わらなくなる。
これは机上の空論ではない。2009年、JAFと東京大学の西成研究室、警察庁が、中央自動車道の渋滞しやすい区間で実際に試している。何台かの車に、周囲より車間を大きくとって、少し抑えた速度で走ってもらった。すると、その車より後ろを走っていた一般の車の速度が回復し、やがて渋滞に入る前の速さに戻ったことが確認された。わざと流れを「ためて」ゆっくり走る数台が、その後ろ何百台もの流れを救ったのだ。
つまり渋滞のなかでは、自分だけ前に詰めて得をしようとする人が、全体を遅くしている。一方、自分の前にあえて余白を残す人が、自分も含めた全体を速くしている。得と損が、私たちの直感とは裏返っているのだ。
余白が、流れをなめらかにする
この現象の本当に面白いところは、車から離れたとたんに、急に自分ごとになるという点にある。
一人ひとりは悪いことを何もしていない。ぶつからないよう、ごく自然に、前との距離を調整しているだけだ。それなのに、全体としては誰も望んでいない詰まりが生まれる。そして、自分の前に余白を残せる人がいると、その余白が全体の緊張をほどいていく。
同じことは、あちこちで起きている。人気の店の行列が、先頭では店がちゃんとさばいているのに、途中でなぜか団子になって止まる。満員電車のホームで、一人が立ち止まると後ろの流れが折り重なってよどむ。職場で、一人が仕事を抱え込んで少し遅れると、その遅れが後工程に向かうほど膨らんでいく。どれも、先頭に「悪者」はいない。小さな遅れが、後ろへ増幅しながら伝わる波だ。原因を一人の犯人に探しても、見つからない。
渋滞の物理が教えてくれるのは、たぶんこういうことだ。集団の流れをなめらかにするのは、全員が全力で詰めることではなく、ところどころに置かれた余白なのだと。前の人にぴったりついていくより、少し距離を残しておく人のほうが、巡り巡って全体を速くする。
次に渋滞にはまったら、先頭を恨む前に、ひとつ思い出してほしい。その先頭には、おそらく何もない。詰まりを作っているのは、少し前のあなたの、ごく自然なブレーキかもしれない。そして、それをほどけるのも、あなたが前にひと車身ぶんの余白を残すという、ただそれだけの選択だったりする。原因のない渋滞は、原因のない解消も、ちゃんと用意している。
参照元: Yuki Sugiyama ほか「Traffic jams without bottlenecks: experimental evidence for the physical mechanism of the formation of a jam」New Journal of Physics 10 (2008) 033001(円形コース実験・円周230m・22台)・西成活裕「渋滞学」日本物理学会誌 71巻3号(2016年)(臨界密度おおよそ25台/km・車間約40m)・NEXCO東日本 ドラぷら(渋滞原因のうち交通集中が約7割、発生箇所の多くがサグ部・上り坂)・国土交通省 国土技術政策総合研究所 資料(都市間高速の渋滞の約6割がサグ部)・JAF(2009年・中央自動車道での渋滞吸収走行の実証実験)






















