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「遅くなったら遅刻する」は、あなたの脳が計算を間違えているだけかもしれない。速度と時間の、まっすぐじゃない関係

「遅くなったら遅刻する」は脳の計算違い(記事サムネイル)

生活道路の法定速度が30キロに引き下げられた。「遅くなる」と感じるその感覚は、実は脳が時間を計算し間違えている証拠かもしれない。速度と時間のまっすぐじゃない関係を、心理学の研究から解きほぐす。

Chapter
まず、電卓を叩いてみる
脳は「時速」ではなく「分速」で考えるのが苦手
間違え方には、きれいな「向き」がある
「あと10分」を間に合わせるのに、時速いくつ必要か
生活道路の30キロに、話を戻す
道が私たちに教えようとしていること
「遅くなったら遅刻する」は脳の計算違い(記事サムネイル)

2026年9月1日、日本中の細い道のルールが静かに書き換わった。中央線のない生活道路の法定速度が、それまでの時速60キロ(速度標識がない場合)から30キロへと下げられたのだ。標識が立っていなくても適用される。

この話を聞いたとき、多くの人の頭にまず浮かんだのは「遅くなる」だったと思う。半分のスピードになるのだから、単純に考えれば時間は倍かかる。朝の通勤、保育園の送り迎え、仕事の移動。ただでさえギリギリで回している毎日の、どこを削ればいいのか。そんな軽い苛立ちを覚えた人は少なくないだろう。

ところが、ここに一つ、ほとんどの人が直感で間違える計算がある。「速度を半分にしたら、時間は倍になる」は正しい。しかし「生活道路が30キロになったから、通勤が倍の時間かかる」は、まず間違いだ。その二つは、似ているようでまったく別の話なのである。

そして面白いのは、この勘違いが生活道路に限った話ではないということだ。私たちの脳は、そもそも「速度」と「時間」の関係を、根本的なところで読み違えるようにできている。心理学の世界では、この読み違いにちゃんと名前までついている。

生活道路の風景(本文用画像)

まず、電卓を叩いてみる

落ち着いて数字を見てみよう。

生活道路というのは、家の前の細い道のことだ。中央線がなく、人が歩き、自転車が通り、車庫から車が出入りする。そういう道を、あなたは一体何キロ連続で走っているだろうか。信号や曲がり角や広い通りに出るまで、せいぜい数百メートル、長くても2キロといったところではないか。

仮にその生活道路区間が2キロあったとする。これまでの実際の走り方に近い時速40キロで抜けると、ちょうど3分。これが30キロに落ちると4分。差は1分だ。区間が1キロなら、差は30秒。500メートルなら15秒である。

しかも、ここが肝心なところだが、中央線もない細い道を、もともと誰が時速60キロで走っていただろうか。歩行者や自転車が飛び出してくるあの道を、法律上は60キロまで出せたというだけで、現実には多くの人が自然とアクセルを緩めていた。つまり今回の変更で本当に失われる時間は、頭の中で「倍かかる」と感じたものより、はるかに小さい。多くの場面で、数十秒から、長くて1〜2分なのだ。

「でも、その積み重ねが」と思うかもしれない。けれど、朝の支度であと1分を争った経験のある人ほど、この1分がどこで生まれ、どこで消えるかを冷静に見たほうがいい。信号ひとつの赤、コンビニでの会計、玄関で鍵を探す時間。そのどれもが、生活道路の数十秒より大きい。

脳は「時速」ではなく「分速」で考えるのが苦手

なぜ私たちは、こんなにあっさり読み違えるのか。

原因は、速度と時間が「まっすぐな関係」ではないからだ。速度を2倍にすれば時間は半分、3倍にすれば3分の1。これはグラフにすると直線ではなく、片方が上がるともう片方が急カーブで落ちていく、反比例のかたちになる。人間の直感は、こういう曲がった関係をうまく扱えない。私たちはつい「速度を足し算した分だけ、時間も引き算される」と感じてしまう。けれど現実は、割り算で動いている。

このズレは、スウェーデンの心理学者オラ・スヴェンソンが2008年の論文で「時間節約バイアス(time-saving bias)」と名づけ、学術的にも定着している。人は速度の変化から得られる時間を、素直に計算できず、決まった方向に見積もりを外す。それも、ただランダムに間違えるのではなく、ある規則にしたがって間違える。ここからが、この話のいちばん面白いところだ。

間違え方には、きれいな「向き」がある

スヴェンソンや、その後に続いたヘブライ大学のエヤル・ペールらの一連の研究が突き止めたのは、脳の読み違いが非対称だということだった。

ざっくり言うと、こうだ。

もともと遅い速度から上げるとき、人は「節約できる時間」を少なく見積もる。もともと速い速度から上げるとき、人は「節約できる時間」を多く見積もる。

具体例で見たほうが早い。実験で使われた数字をなぞってみよう。

時速40キロで走っている道を50キロに上げる。10キロの距離なら、実際に浮く時間は3分だ。ところが人に推測させると、多くが「2分前後」としか答えない。得られる時間を、実際より小さく感じてしまう。

逆に、時速100キロで飛ばしている高速道路を110キロに上げる。同じ10キロでも、実際に浮く時間はたったの33秒ほどしかない。けれど人は「もっと縮まるはずだ」と感じ、アクセルを踏み込む。スウェーデンの道路当局が公的に示している例でも、制限90キロの道を100キロで10キロ走っても、稼げる時間は約40秒にすぎない。

つまり私たちは、本当はスピードを上げる価値のある低速の場面でそれを過小評価し、ほとんど無意味な高速の場面で幻の数分を追いかけている。アクセルの踏み方が、事実とちょうど逆を向いているのだ。

高速道路の風景(本文用画像)

「あと10分」を間に合わせるのに、時速いくつ必要か

ペールの2010年の研究には、ぞっとする計算が出てくる。

時速90キロで40キロの距離を走っている人が、どうしても到着を10分早めたい。そのために必要な速度はいくつか。答えは、おおよそ時速144キロである。ところが同じ状況を人に尋ねると、多くが「120キロくらい出せば足りる」と感じる。

この20キロ超の見積もり違いが、何を意味するか。「もう少し踏めば間に合う」という感覚で120キロまで上げた人は、実際には10分を取り戻せていない。だから焦りは消えない。消えないからさらに踏む。危険の割に、時間はほとんど買えていない。高速道路の追い越し車線で、やたらと車間を詰めてくる車の運転席には、しばしばこの錯覚が座っている。

研究チームはタクシー運転手も調べた。プロでもこのバイアスからは完全には逃れられなかった。ただし、素人ほどは大きく外さない。日々ハンドルを握って距離と時間の感覚を体に刻んでいる人は、少しだけ脳の読み違いを補正できているらしい。裏を返せば、たまにしか運転しない人ほど、この錯覚に素直にはまる。

生活道路の30キロに、話を戻す

ここまで来ると、9月の制度変更の見え方が少し変わってくるはずだ。

生活道路の速度が下がって「遅くなる、損をする」と感じるとき、私たちの頭の中では、速度を半分にしたことがそのまま時間を倍にすると計算されている。けれど実際の生活道路は短く、もともと誰も法定の60キロなど出していない。失う時間は、感覚が叫ぶほど大きくない。数十秒のために、人や自転車とすれ違う細い道で速度を保ちたいかどうか。そう問い直すと、天秤の傾きは変わる。

一方で、同じ脳の読み違いは、高速道路ではまったく逆の顔で私たちをそそのかす。実際にはほとんど縮まらない時間を取り戻そうと、リスクだけが跳ね上がる速度までアクセルを踏ませる。速度を上げたときに失うもの、たとえば止まるまでの距離や衝突の激しさは、速度の2乗で増えていく。得られる時間は反比例で逓減し、失うものは2乗で膨らむ。急いでいるときの私たちは、この二つを両方とも見誤っている。

道が私たちに教えようとしていること

生活道路の30キロ化は、歩く人や自転車の安全のために決められたルールだ。その意義はそれ自体で十分に大きい。

けれどこの変更は、もう一つ、思いがけない鏡を差し出してくる。「速くすれば早く着く」という、ほとんど疑ったこともない感覚が、実は脳の雑な暗算にすぎなかったという鏡だ。速度と時間はまっすぐにはつながっていない。足し算ではなく割り算で、直線ではなく曲線で結ばれている。この一点を思い出すだけで、細い道でアクセルを緩めることへの苛立ちは少し和らぎ、追い越し車線で踏み込む指は少しだけ軽くなる。

次に時計を気にしながらハンドルを握るとき、頭の片隅でこう思い出してほしい。いま自分が稼ごうとしているその数分は、本当に道の上にあるのだろうか。それとも、脳が勝手に書いた帳簿の中にだけ、あるのだろうか。

参照元: Svenson, O. (2008). Decisions among time saving options: When intuition is strong and wrong. Acta Psychologica, 127(2), 501–509・Peer, E. (2010). Speeding and the time-saving bias: How drivers' estimations of time saved in higher speed affects their choice of speed. Accident Analysis & Prevention, 42(6), 1978–1982・Peer, E. (2010). Exploring the time-saving bias: How drivers misestimate time saved when increasing speed. Judgment and Decision Making, 5(7), 477–488・Peer, E., & Solomon, L. (2012). Professionally biased: Misestimations of time saved when increasing speed, in taxi and non-professional drivers. Judgment and Decision Making, 7(2), 165–172・警察庁(改正道路交通法施行令、2026年9月1日施行。中央線等のない道路の法定速度を時速30キロに引き下げ)・Trafikverket(スウェーデン運輸庁)「Hastighet och restid(速度と所要時間)」

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