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日本人が「クラクションを鳴らさない民族」になったのは、つい最近のこと。しかも法律は、あなたに「鳴らせ」と命じている場所を用意している

クラクション記事サムネイル

信号待ちで前の車がもたついたとき、あなたはクラクションを鳴らすだろうか。たぶん、鳴らさない。日本の法律ではクラクションは「鳴らしてはいけないもの」だが、実は「鳴らさないと違反になる」場所もある。

Chapter
法律は「鳴らすな」と言っている。ただし、鳴らさないと違反になる場所がある
その「警笛鳴らせ」の標識は、静かに姿を消しつつある
昭和の日本は、世界でも指折りの「鳴らす国」だった
海を渡ると、クラクションは「怒り」ではなく「会話」になる
そして今、車はまた「音で存在を知らせろ」と言われ始めた
クラクションは、言葉を持たない声だ
クラクション記事サムネイル

信号待ちで前の車がもたついたとき、あなたはクラクションを鳴らすだろうか。たぶん、鳴らさない。せいぜい、ハンドルに手をかけて少し身構えるくらいで、指はボタンの手前で止まる。日本で運転する人の多くが、あの黄色いマークのついた中央のふくらみを、ほとんど押さないまま何年も過ごしている。

そのことを、私たちはなんとなく「日本人らしい奥ゆかしさ」だと思っている。海外に行くとクラクションが鳴りやまなくて驚いた、日本は静かでいいね、と。だが、この静けさは、そんなに古いものではない。そして、あなたがクラクションについて信じていることの多くは、法律の建前と、けっこうずれている。

まず、いちばん意外なところから。日本の法律では、クラクションは「鳴らしたいときに鳴らすもの」ではない。原則として、鳴らしてはいけないものなのだ。

法律は「鳴らすな」と言っている。ただし、鳴らさないと違反になる場所がある

道路交通法という、車のルールを束ねている法律がある。その第54条が、クラクション、正式には「警音器」の使い方を決めている。

条文の要点は二つだ。ひとつめは、こう書いてある。運転者は、法令で鳴らすことが決められている場合を除いて、警音器を鳴らしてはならない。ただし、危険を防ぐためにやむを得ないときは、この限りでない。

つまり原則は「鳴らすな」である。例外として許されるのは、事故を避けるためにどうしても必要なとき。飛び出してきた歩行者に気づかせる、こちらの存在に気づかず寄ってくる車に知らせる。そういう「危険を防ぐ」場面だけが、法律が想定するクラクションの出番だ。

前の車の発進が遅い、割り込まれてイラッとした、というのは、この「やむを得ない危険」には当たらない。腹立ちまぎれにプッと鳴らすのは、じつは法律の建前では違反にあたる。これを「警音器使用制限違反」といって、反則金は3千円。悪質なら2万円以下の罰金または科料まで規定がある。ほとんど取り締まられないので誰も気にしていないが、条文の上では、あなたの「ちょっとした警告」は禁じられた行為なのだ。

ここまでは「鳴らすな」の話。ところが第54条には、もうひとつ、正反対の顔がある。

決められた場所では、鳴らさないと違反になる。

見通しのきかない交差点、曲がり角、上り坂の頂上。そういう「向こうから何が来るか見えない」場所のうち、標識で指定されたところでは、クラクションを鳴らして自分の接近を知らせる義務がある。この標識が「警笛鳴らせ」だ。青地に白でラッパの絵が描かれた、丸い規制標識。標識令のうえでは番号328という、れっきとした「指示」ではなく「規制」の仲間である。さらに、山道などで区間ごと指定する「警笛区間」というものもある。

ここで鳴らさなかった場合、「警笛吹鳴義務違反」となり、普通車で反則金6千円、違反点数1点がつく。鳴らして3千円、鳴らさなくて6千円。同じクラクションが、場所によって罰の向きがちょうど逆になる。

整理すると、日本のクラクションのルールはこうだ。ほとんどの場所では鳴らしてはいけない。でも一部の見えない場所では、鳴らさないといけない。私たちが実際にやっていることは、その両方から少しずつずれている。イラッとしたら鳴らしたくなり(本当は禁止)、見えないカーブでは面倒だから鳴らさない(本当は義務のことがある)。法律の理想と、道路の現実は、きれいに食い違っている。

その「警笛鳴らせ」の標識は、静かに姿を消しつつある

警笛鳴らせ標識

「警笛鳴らせなんて標識、見たことない」と思った人は、正しい。あの標識は、もともと数が少ないうえに、年々減っている。

理由は単純で、標識が要らない道が増えたからだ。「警笛鳴らせ」が置かれるのは、見通しの悪い山道のカーブや、狭くて対向車が確認できない峠道といった場所だった。そういう道は、トンネルを掘り、カーブを緩め、ガードレールとカーブミラーを付け、拡幅することで、少しずつ「音で知らせなくても見える道」に作り替えられてきた。道路が改良されるたびに、標識は役目を終えて外される。

全国に何本残っているかの公式な集計は見当たらない。標識をたどって記録している愛好家の推計では、撤去済みを含めても数百か所という規模らしい。【未確認】だが、少なくとも「日常でまず出会わない標識」であることは間違いない。

これはよく考えると象徴的な話だ。日本は、クラクションで危険を知らせなければならない道そのものを、コンクリートと鉄で少しずつ潰してきた。音というソフトな解決策を、道路構造というハードな解決策で置き換えてきた、とも言える。静かなのは民族性というより、静かでも走れる道を作った結果でもあるのだ。

昭和の日本は、世界でも指折りの「鳴らす国」だった

そもそも「日本人はクラクションを鳴らさない」という前提が、それほど古くない。

いまの道路交通法ができたのは1960年、昭和35年のことだ。それ以前、昭和30年前後の東京や大阪は、クラクションの騒音がまじめな社会問題になっていた。当時の資料には、東京・銀座の交差点でクラクションが1分間に数十回鳴らされていた、欧米の都市の何倍もの警笛騒音だった、という記述が残っている。具体的な数値は当時の関係者の著書を経由した二次的な引用で、一次データとしての裏は取り切れないので【未確認】としておくが、複数の資料が「当時の都市は警笛でうるさかった」という方向で一致している。

つまり、いまの静かな道路は、生まれつきのものではない。道路交通法の第54条が「原則鳴らすな」と定め、車も道も人の意識も少しずつ変わって、数十年かけて到達した状態だ。「クラクションを鳴らさないのが日本人」というのは、性格の説明ではなく、戦後にみんなで作り上げた作法の説明なのである。あなたが指をボタンの手前で止めるあの一瞬には、半世紀分のしつけが効いている。

海を渡ると、クラクションは「怒り」ではなく「会話」になる

海外のクラクション文化

この作法が、どれだけ土地に根ざしたものかは、国境を越えるとよくわかる。

インドの街を走る車に乗ると、運転手はほとんど絶え間なくクラクションを鳴らす。日本の感覚だと全員が怒っているように聞こえるが、現地ではまったく意味が違う。「いまここを通ります」「あなたの横を抜けます」「後ろにいます」。ミラーや車間で伝えきれない情報を、音で補い合っている。トラックの後ろに「Horn OK Please(鳴らしてね)」と描いてあるのは有名な光景だ。追い越すなら鳴らして知らせてくれ、という合図である。エジプトのカイロや、タイ、ベトナムといった街でも、クラクションは日常の会話に近い。

一方、ヨーロッパの多くの国では、日本以上に厳しい。ドイツは危険回避以外での使用を法律で認めず、イギリスは夜間や住宅地での使用を制限し、オーストラリアでは不要なクラクションに数百ドル規模の罰金がある。

同じ「プッ」という音が、ある国では挨拶で、ある国では違反になる。クラクションは、車についた小さなスピーカーの話ではなく、その社会が「他人にどう存在を知らせるか」「見知らぬ相手にどこまで声をかけていいか」という感覚そのものを映している。日本で鳴らしにくいのは、たぶん、見知らぬ相手にいきなり声を出すこと自体が、この社会では強めのアクションだからだ。だから鳴らすときは、よほど腹が立ったときになる。皮肉なことに、めったに鳴らさない社会ほど、いざ鳴らされた側は「怒られた」と受け取ってしまう。

そして今、車はまた「音で存在を知らせろ」と言われ始めた

ここまでは、音を減らしてきた話だった。ところがこの数年、流れが一部で逆を向いている。原因は電気自動車だ。

エンジンのない電気自動車は、低速でほとんど無音で走る。静かなのは快適だが、歩行者にとっては都合が悪い。とくに目の不自由な人や、子ども、高齢者にとって、近づいてくる音がしない車は危ない。そこで国際的なルールとして、静かな車には低速時にわざと音を出す装置を付けることが決められた。「車両接近通報装置」、英語の頭文字でAVASと呼ばれるものだ。

国連の場で2016年に基準がまとまり、おおむね時速20キロ以下のゆっくり走る場面で、車が自分から「ここにいますよ」という音を出す。日本でも、新しい型の電気自動車などは2018年3月から、継続して作られている車も2020年10月から、この装置の装着が義務づけられた。しかも、運転者が勝手にオフにできないようにと決められている。

構図を並べてみると、面白いことになっている。かつて人は、クラクションを手で押して「ここにいる」と知らせていた。それを社会は「うるさい」と言って半世紀かけて減らしてきた。ところが車が静かになりすぎた今、今度は車自身が、手を借りずに小さな音で「ここにいる」と言い続けるようになった。存在を知らせる音は、消えたのではなく、人間の指からモーターの制御へと、担い手を替えて戻ってきたのだ。

クラクションは、言葉を持たない声だ

こうして見てくると、クラクションはただの警告ブザーではない。

それは、車に乗った人間が外の世界に向けて出せる、数少ない「声」だ。言葉は使えない。長さと回数と、鳴らす場面だけで、怒りにも、感謝にも、注意喚起にもなる。同じ音が、ある国では優しさになり、ある国では喧嘩になる。同じ人でも、疲れた夜と機嫌のいい朝では、指のかかり方が違う。

だからこそ、次にハンドルを握って、鳴らそうか鳴らすまいか一瞬迷ったとき、その迷いは覚えておく価値がある。それは「押すか押さないか」という操作の迷いではなく、見知らぬ他人に、今この瞬間、どんな声で話しかけるかという選択だ。法律が原則で禁じ、特定の場所でだけ命じ、国によって意味が裏返り、電気自動車の時代にかたちを変えて戻ってきた小さな音。その一発に、あなたがこの社会で他人とどう距離を取っているかが、けっこう正直に出る。

鳴らさないのは、たぶん、悪いことではない。ただ、それが「生まれつき静かな民族だから」ではなく、みんなで長い時間をかけて選び取ってきた作法なのだと知っておくと、あのボタンの手前で止まる指が、少しだけ違って見えるはずだ。

参照元: 道路交通法 第54条(警音器の使用等)/e-Gov法令検索、警察庁「交通反則通告制度・反則行為と反則金一覧」、国土交通省「道路標識一覧」(警笛鳴らせ・警笛区間)、国際連合欧州経済委員会 協定規則第138号(静音性車両/車両接近通報装置 AVAS)、国土交通省 道路運送車両の保安基準(車両接近通報装置の義務化に関する改正)

車選びドットコムマガジン編集部

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