日本はいま、「捨てる車」が足りない。あなたが手放した1台が海外で走り続けるほど、次の新車の材料が消えていく
世界一級の処理能力を持つのに、日本の自動車リサイクルはいま「捨てる車」不足に直面している。手放した1台の行方と、次の新車の材料を巡る意外な循環を解説します。
- Chapter
- 世界一級の「回す力」があるのに、回すものがない
- 廃車が減ったのではない。車が「死ななくなった」のと、海を渡ったからだ
- 廃車は「ゴミ」ではなく、次の新車の「材料の畑」だった
- 「まだ走る車」と「もう終わりの車」の線引きが、国のルールになる
- 「捨てる」が価値になる時代に、私たちは立っている
リサイクルという言葉には、たいてい「余っているものを、うまく回す」という響きがある。ペットボトルも、古新聞も、着なくなった服も、いったん集めて、選別して、また何かに生まれ変わる。集めるものが多いほど良い。少なくとも、そう思っている人が多い。
車も同じだ、と考えるのが自然だろう。日本には毎年おびただしい数の車が寿命を迎え、スクラップになり、鉄やガラスや樹脂に分けられていく。放っておけば車は余る。だから解体して資源に戻す。そういう構図を、なんとなく頭に描いている人は少なくないと思う。
ところが、いま日本の自動車リサイクルの現場で静かに起きているのは、その正反対のことだ。処理する能力は世界でも指折りに高い。技術も制度も整っている。にもかかわらず、肝心の「解体する車」が足りない。工場のラインは動くのに、そこへ流れてくる廃車が細り続けている。
「廃車が減っている」と聞くと、良いことのように思えるかもしれない。ゴミが減るなら結構なことではないか、と。だが話はそう単純ではない。廃車が減ることが、これから作られる新しい車の材料を先細りさせ、日本のものづくりの足元を揺らしかねない。捨てる車が足りないことが、問題になっている。この奇妙なねじれの正体を、順にほどいていきたい。
世界一級の「回す力」があるのに、回すものがない
まず、日本の自動車リサイクルがどれくらい優秀かを押さえておく。
車を1台解体すると、最後にどうしても細かいクズが残る。金属を回収したあとの、プラスチックやゴム、繊維が混ざった破砕くずで、業界では自動車シュレッダーダスト(ASR)と呼ぶ。かつてはこれが埋め立てに回され、処分場を圧迫していた。2005年に施行された自動車リサイクル法は、まさにこの「最後のクズ」をきちんと再資源化させるための仕組みだった。
その結果はどうか。経済産業省・環境省の資料によれば、2024年度のASRの再資源化率はチームによって96.5%、96.8%という水準に達している。ほぼすべてが埋め立てを免れ、資源やエネルギーとして回収されている計算になる。制度が始まる前に問題だった不法投棄や不適正な保管も、大きく減った。「処理する力」に関して、日本は世界に胸を張れる段階にいる。
ところが、その優秀な処理の入口にあたる「引き取られる車」の数が、はっきりと減っている。
自動車リサイクル促進センター(JARC)などの集計では、2024年に使用済み自動車として発生した台数は約260万8千台で、3年連続の前年割れだった。国土交通省の資料をもとにした報道では、この使用済み自動車の台数は2018年度の約338万台をピークに減り続け、2025年度は約247万台まで落ち込んでいる。2018年度と比べておよそ27%、四分の一以上が消えた勘定になる。
(数字の但し書きを一つ。「発生台数」「年度ごとの引取台数」「国交省ベースの台数」は集計の仕方が少しずつ違い、260万台・256万台・247万台と、近い年でも数字が並び立つ。ここでは「同じ物差しで見ても年々細っている」という傾向だけを受け取ってほしい。)
工場も、職人も、法律も揃っている。なのに解体台になる車が来ない。この光景を頭に置いたまま、次の問いに進む。減った車は、いったいどこへ消えたのか。
廃車が減ったのではない。車が「死ななくなった」のと、海を渡ったからだ
答えは、二つある。
一つは、日本の車が長生きになったことだ。同じ資料によれば、引き取られる車の平均使用年数は2024年度に17.0年まで延びた。数年前は16年台だったから、じわじわと寿命が延びている。新しい車が高くなり、買い替えを先延ばしにする人が増えた。もともと日本車は丈夫で、こまめに点検・整備する文化とかみ合って、簡単には壊れない。長く乗ることは、家計にとっても環境にとっても悪い話ではない。ただ、その分だけ「今年廃車になるはずだった車」が、来年以降に持ち越されていく。
もう一つ、そしてこちらが効いているのだが、まだ十分に走れる車が国内で解体されず、海を渡って輸出されている。
日本中古車輸出業協同組合(JUMVEA)の集計では、2025年に日本から輸出された中古車は170万台を超え、前年より9.1%増えて3年連続の過去最高を記録した。最大の輸出先はアラブ首長国連邦で、25万台あまり。これに加えてロシアやアフリカ、東南アジアなどが日本の中古車を吸い込んでいく。円安が続き、海外のバイヤーから見れば日本車は「品質のわりに割安」な状態が続いているため、需要は衰える気配がない。
つまり、日本国内で寿命を迎える車が減った一方で、まだ動く車は次々と船に積まれて出ていく。国内の解体工場から見れば、上流の蛇口が二重にしぼられている。長く乗る人が増えて廃車のタイミングが遅れ、いざ手放される頃には状態が良く、解体ではなく輸出に回ってしまう。「捨てる車が足りない」という奇妙な事態は、日本車が丈夫で人気であることの、いわば裏側の顔なのだ。
ここまでなら、「良い車を作って世界に売っている」という誇らしい話で終われたかもしれない。問題は、その先にある。
廃車は「ゴミ」ではなく、次の新車の「材料の畑」だった
ここで視点を、解体工場から一気に、これから作られる新しい車へと移してみる。
車の材料は、鉄や樹脂やアルミといった素材でできている。この素材を、いつまでも新品の資源から作り続けられるわけではない。鉱石を掘り、石油を精製し、多くのエネルギーとCO2を使う。だから世界は、「使い終わった製品から材料を取り出して、また新しい製品に使う」方向へ大きく舵を切りつつある。その最前線にいるのが、日本車の最大のライバル市場でもあるヨーロッパだ。
EUは2026年、使用済み自動車をめぐる新しい規則をまとめた。中身のなかで、車の作り手に重くのしかかるのが、再生プラスチックの使用義務だ。報道や専門機関の解説によれば、新しく作る車に使うプラスチックのうち、規則の発効から6年後には15%、10年後には25%を再生材にしなければならない。しかも、そのうち少なくとも2割は「廃車から取り出したプラスチック」である必要がある。新品の樹脂で埋めることは許されず、使い終わった車という「畑」から素材を収穫してこいという発想だ。
この規則がEUのものだからといって、日本と無関係ではない。ヨーロッパで車を売りたい日本メーカーは、この基準を満たさなければ市場に入れない。すると、再生プラスチックという材料そのものを、安定して手に入れられるかどうかが競争力を左右し始める。
ここで、最初の話につながる。再生プラスチックの原料は、どこから来るのか。使い終わった製品、とりわけ廃車だ。廃車が国内で解体されて初めて、そこから樹脂や金属が取り出され、次の車の材料になる。ところが日本では、その廃車が減り続けている。まだ走れる車は海を渡り、国内には解体すべき車が回ってこない。
つまり、こういう構図になる。あなたが乗っていた車を「まだ走るから」と海外に売る判断は、それ自体はまっとうで、多くの場合いちばん得な選択だ。だがその1台が船に積まれるたびに、日本国内で解体されて材料になるはずだった鉄や樹脂が、静かに国外へ出ていく。海外の道路の上で車が長生きするほど、日本の「材料の畑」はやせ細る。リサイクルの鎖は、集める段階の一歩手前、つまり「そもそも解体する車があるかどうか」で、いちばん細くなり始めている。
「まだ走る車」と「もう終わりの車」の線引きが、国のルールになる
このねじれは、静かにもう一つの問題を生んでいる。輸出と廃車の「線引き」だ。
本来、廃車として手続きを踏んだ車は、エアバッグに使われる火薬やフロン類などを、決められた手順で回収してから解体しなければならない。ところがこの回収は、業者にとって手間ばかりで儲けにならない。一方、車体を鉄スクラップとして、あるいは部品取り用として海外へ出せば、それなりの値がつく。そこで、本来は廃車として処理すべき車を「中古車」の顔をさせたまま輸出し、危険物や資源を回収しないまま国外へ流す動きが横行してきた。
JARCによれば、解体されて輸出に回った車は2024年に約22万台にのぼり、この10年でおよそ3倍に増えている。円安と金属価格の高止まりが、この流れを後押しした。国内で回収されるべき資源が、回収されないまま海の向こうへ消えていく。
これを受けて経済産業省と環境省は、2026年から中古車と廃車の判別基準を見直す検討に入った。オークションに出品する段階での目安を示し、自治体の立ち入り検査や、解体業者の許可要件も厳しくする方向だという。「まだ走る中古車」なのか「もう終わった廃車」なのか。その線引きが、業者の勘や現場の裁量ではなく、国が定める明文のルールへと格上げされようとしている。
一枚の書類の上で「中古」か「廃車」かが決まる。その判定ひとつで、車の中の資源が国内に残るか、それとも回収されないまま国境を越えるかが変わる。丈夫な日本車が世界で愛されるという明るい事実の裏で、資源をどう国内に留めるかという、地味だが切実な綱引きが始まっている。
「捨てる」が価値になる時代に、私たちは立っている
ここまでの話を、もう一度日常の目線に戻してみたい。
私たちは長らく、車について「買うとき」と「乗っているとき」のことだけを考えてきた。手放す瞬間は、少しでも高く売れればそれでいい、という一点にしか関心が向かなかった。廃車やリサイクルは、自分とは関係ない、業者がどこかで勝手にやってくれる後始末だと思っていた人が多いはずだ。
だが、これまで見てきたように、車の一生は手放したあとにも長い続きがある。まだ走るなら海を渡って誰かの足になり、寿命が尽きれば解体されて次の車の材料になる。そして、そのどちらに転ぶかが、日本のものづくりの原料や、地球規模の資源の巡り方にまでつながっている。「捨てる」という、いちばん軽く扱われてきた行為が、これからは価値の源泉として扱われ始める。廃車が足りないという不足は、その転換をはっきりと映し出している。
もちろん、だからといって「まだ走る車をわざわざ国内で解体しろ」という話ではない。長く乗ることも、海外で第二の人生を送らせることも、それ自体は良いことだ。ただ、自分が手放した1台がそのあとどこへ向かうのかを、ほんの少しだけ想像できるようになると、車という道具の見え方は変わる。値札やスペックの向こうに、鉄や樹脂が世界を巡る大きな循環が透けて見えてくる。
次にあなたが車を手放すとき。査定額の数字の裏側で、その1台が「海を渡る車」になるのか「材料の畑に還る車」になるのか、静かに運命が分かれている。日本がいま直面している「捨てる車が足りない」という逆説は、私たちの一人ひとりの、そのささやかな選択の積み重ねの先にある。
参照元: 日本経済新聞「中古偽装の廃車輸出に歯止め 経産・環境省、判定の厳格化検討」(2026年)、経済産業省・環境省 産業構造審議会/中央環境審議会 自動車リサイクルワーキンググループ 資料、自動車リサイクル促進センター(JARC)資金管理業務諮問委員会 資料、日本自動車会議所「2024年の使用済み車発生台数、約260.8万台」「2025年の中古車輸出、9.1%増の170万台」、日本中古車輸出業協同組合(JUMVEA)中古車輸出統計、環境省「自動車向け再生プラスチック市場構築アクションプラン」、EUの使用済み自動車(ELV)規則に関する各種解説























