親の車を売ったのは、親ではなかった。免許返納の「その後」に、静かに増えている子ども世代の役割
免許を返したのは親。でも、その車を売る手続きをしているのは、実は子どもだった。免許返納の「後始末」で静かに進む役割交代と、40代から60代前半が担う「代理売却」の実情を、アンケートと統計の数字から読み解く。
- Chapter
- 「返す」で終わらない。もう一台、処理すべきものが残る
- 数字の裏にいる、40代から60代前半の人たち
- なぜ、この「役割交代」に気づきにくいのか
- 一台の車は、その人の生活史そのものだった
- これは、そう遠くない自分の話でもある
免許返納の話は、たいてい高齢者本人の物語として語られる。
「そろそろ運転をやめたら」「まだ大丈夫だ」。実家に帰るたびに繰り返される、あのやりとり。ニュースで踏み間違いや逆走の事故が流れるたびに、子どもの側は不安になり、親の側はかたくなになる。返納するかしないか。その決断の主役は、いつも運転している本人だ。少なくとも、そう思われている。
ところが、いざ「車を手放す」という段になると、話は少し違う顔を見せる。
車の買取サービスを運営するMOTAが、自社サービスの利用者に取ったアンケートを整理したところ、売却の理由として「免許返納」を挙げた人のうち、およそ64%が45〜64歳だった。免許を返した本人が高齢者であることを考えると、これは少し奇妙な数字だ。返納するのは70代、80代。なのに、その車を売る手続きをしているのは、40代から60代前半の、つまり子ども世代なのである。
免許返納という出来事の主役は、返す本人だ。けれど、その「後始末」の主役は、いつのまにか子どもに移っている。今日はこの、あまり語られない役割交代の話をしたい。
「返す」で終わらない。もう一台、処理すべきものが残る
免許を返納する、と口で言うのは簡単だ。警察署か運転免許センターに行き、書類を出す。手続きそのものは、拍子抜けするほどあっさり終わる。
問題はそのあとだ。免許を返しても、車は消えてくれない。車庫や庭先に、動かなくなった一台がそのまま残る。
この「残った一台」の扱いが、実はやっかいだ。乗らない車でも、置いておくだけで自動車税がかかる。任意保険や自賠責保険の切れ目もある。車検の期限も来る。そして何より、鉄とガラスとゴムのかたまりが、生活空間のなかにでんと居座り続ける。動かさなければ、バッテリーは上がり、タイヤは変形し、少しずつ「ただの重い置物」に変わっていく。
高齢の親にとって、この処理はハードルが高い。買取業者を何社も比較する、査定に立ち会う、必要書類をそろえる、名義や印鑑証明を用意する。若い頃なら面倒でもこなせたこうした事務が、80歳を過ぎた体と気力には、ずしりと重い。運転をやめる決断をしたその人が、続けて車の売却まで一人で背負うのは、現実にはなかなか難しい。
だから、子どもが動く。
数字の裏にいる、40代から60代前半の人たち
先ほどの「約64%が45〜64歳」という数字を、もう少し具体的に想像してみる。
45〜64歳といえば、多くは働き盛りの現役世代だ。自分の仕事があり、自分の家庭があり、住んでいる場所も実家から離れていることが少なくない。その人たちが、親の免許返納をきっかけに、親の車を売る実務を引き受けている。
MOTAの整理では、この層に「代理売却」と呼べる動きがはっきり出ている。利用者のコメントには、こんな声があったという。遠く離れた実家の車を、自分の名前で登録して手続きを進めた。両親では適正な条件で売るのが難しいから、息子である自分が代わりに対応した。親が高齢になったことと、ちょうど車検の時期が重なったので動いた。親と別居していて、物忘れや運転への不安が募ってきたので踏み切った。
どれも、派手な話ではない。けれど、そこには共通した構図がある。運転していたのは親で、車に思い入れがあるのも親だ。それでも、売るという最後の実務を担うのは、離れて暮らす子どものほうなのだ。
もうひとつ、興味深い数字がある。買取サービスを選んだ理由として「買取店を何軒も回るのが面倒だったから」と答えた人の割合が、代理売却の人では11.7%。利用者全体の平均3.5%とくらべると、およそ3.3倍にのぼる。
これは、代理で売る人の事情をよく物語っている。自分の車を売るなら、休日に何軒か回って値段を比べる楽しみもあるかもしれない。だが、親の車を、遠方から、限られた帰省のタイミングで片づけるとなれば、話は変わる。何度も足を運ぶ余裕はない。だから「一度で済ませたい」という気持ちが、自分の車のときよりずっと強く出る。面倒を最小化したいという切実さの分だけ、数字が跳ね上がっている。
なぜ、この「役割交代」に気づきにくいのか
考えてみれば、車を売る人と、その車に乗っていた人が別人である、というのはなかなか特殊な状況だ。
家電や家具なら、使っていた本人が最後まで処分する。スマホの機種変更を、離れて暮らす子どもが代わりにやってあげる家庭は多くない。ところが車だけは、持ち主の運転人生が終わる局面で、しばしば所有と処分の担い手がずれる。乗っていたのは親、売るのは子。この「ずれ」が、静かに、しかしはっきりと起きている。
なぜ気づきにくいのか。ひとつは、免許返納という言葉が、あまりに「本人の決断」の物語として語られてきたからだ。返す勇気、返せない事情、返したあとの喪失感。語りの焦点はいつも高齢者本人にあり、その後ろで手続きを回している家族の姿は、画面の外に置かれてきた。
もうひとつは、車の売却が、感情の話ではなく事務の話として処理されるからだ。事務は目立たない。誰かがどこかで淡々と片づけて、終わる。だからこそ、そこに「40代から60代前半の子ども世代」という具体的な担い手がいることが、統計を見て初めて見えてくる。
一台の車は、その人の生活史そのものだった
ここで少し、視点を車から離してみたい。
親が長く乗ってきた一台には、その人の生活が丸ごと詰まっている。子どもの送り迎え、家族旅行、通院、買い物、冠婚葬祭。ダッシュボードの傷や、シートのへたり、いつからか閉まりにくくなったドア。それらは全部、その人が動き回って生きてきた証拠だ。
だから、その車を売るという作業は、単なる資産の現金化ではない。乗っていた本人にとっては、自分の足で好きな場所へ行けた時代に、区切りをつける行為だ。そして代わりに手続きをする子どもにとっては、親の「動ける人生」の最後のページを、自分の手でめくることを意味する。
免許を返した親が、返した途端に急に老け込んで見える、という話はよく聞く。運転は、単なる移動手段ではなく、自分で自分の行き先を決められるという、自由と尊厳の象徴でもあったからだ。その車を子どもが売るとき、二人のあいだには、たぶん言葉にならない何かが流れている。「もう乗らないなら、置いておいても仕方ないでしょう」という現実的な理屈と、「本当にこれで手放していいのか」という、どちらのものともつかないためらい。
売却という事務の裏側には、そういう感情の受け渡しがある。数字の64%は、そういう場面が全国の実家で、いま日々起きていることを示している。
これは、そう遠くない自分の話でもある
日本では、運転免許を自主返納する人が年に43万人前後いて、そのうち約6割を75歳以上が占める。数字はここ数年、じわじわ増えている。返納が増えるということは、そのぶんだけ「残された一台」も増えるということだ。そして、その一台を片づける役目は、多くの場合、子どもの世代に回ってくる。
もしあなたの親が、まだ元気に運転しているとしても、この場面はいつか訪れる可能性が高い。そのとき慌てないために、知っておくと少しだけ気持ちが軽くなることがある。
ひとつは、これが特別な苦労ではなく、同世代の多くが通っている道だということ。実家の車を売った経験は、いまや40代から60代前半にとって、ある種の「共通の宿題」になりつつある。孤独な作業に思えても、実は隣の家でも似たことが起きている。
もうひとつは、事務は先に片づけておくほど楽になる、ということだ。車を売るには、車検証や本人確認、名義や印鑑にまつわる書類が要る。親が元気なうちにどこに何があるかを聞いておくだけで、いざというときの負担はまるで違う。認知機能が落ちてから、あるいは相続が絡んでからでは、同じ売却でも手間の重さが跳ね上がる。
そして最後に、車を手放すという事務を引き受けることは、案外、悪い役回りではないのかもしれない。それは親の運転人生の幕引きを、子どもが代わりに、きちんと見届けるということだ。面倒で、少し寂しくて、でも確かに親孝行の一種でもある。実家の車庫から一台が消える日、そこにいるのは、たいてい離れて暮らす子どもなのだから。
免許返納のニュースを見るとき、これからは画面に映らないもう一人を思い浮かべてほしい。運転席を降りた高齢者の、その後ろで、静かに書類をそろえている子どもの姿を。車の終活は、もう本人だけのものではなくなっている。
参照元: MOTA「車の終活」調査(MOTA車買取 利用後アンケート、2026年2〜6月、免許返納を理由とした売却者の年齢構成・代理売却の傾向)・警察庁「運転免許統計」(運転免許の自主返納件数と75歳以上の割合、令和6年・令和7年)























