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投手交代の数十秒、外野から小さな車が走ってくる。世界で日本だけが手放せなかった「乗らなくてもいい車」の話

記事サムネイル(リリーフカー)

投手交代の数十秒だけ、外野から芝生の上を走ってくる小さな車「リリーフカー」。本家アメリカが捨てたのに、日本だけが60年以上手放さなかった。その理由をたどると、私たちと「もう要らないはずの道具」との付き合い方の話に行き着く。

Chapter
始まりは、試合の「早送りボタン」だった
本家アメリカは、あっさり捨てた
走ってきたのは、日本車の「アルバム」だった
役目は、半分終わっている
「乗らなくてもいい車」が、なぜ愛されるのか
効率で消えるはずのものが、意味で残る
記事サムネイル(リリーフカー)

野球中継を見ていて、投手が交代する場面を思い出してほしい。監督が審判に告げ、外野の壁がガコンと開く。すると、芝生の上を小さな車がゆっくり走ってくる。助手席には、これからピンチのマウンドに立つ救援投手が座っている。車は内野の手前で止まり、投手だけが降りて、車は器用にバックで引き上げていく。時間にして数十秒。テレビの前の私たちは、たいていその車を見ていない。目は投手の表情を追っている。

その、誰も見ていない小さな車には「リリーフカー」という名前がある。そして、これがなかなか奇妙な乗り物なのだ。日本のプロ野球で60年以上使われてきたのに、いま全国の球場を見渡すと、これを常設しているのはほんの数か所しかない。しかも本家であるアメリカでは、一度きれいさっぱり姿を消した。世界的に見れば、ほぼ日本だけがこだわり続けてきた、かなりの珍種である。

なぜ日本だけが、この車を手放さなかったのか。話をたどっていくと、車の話でありながら、私たちが身のまわりの「もう要らないはずの道具」とどう付き合っているか、という話に行き着く。

始まりは、試合の「早送りボタン」だった

リリーフカーの一号車は、実は車ですらなかった。バイクである。

リリーフカー黎明期の写真

1964年3月、阪神甲子園球場。当時の甲子園には外野フェンスの手前に「ラッキーゾーン」という一段低いスペースがあり、その中が、救援投手が肩をつくるブルペンになっていた。ここからマウンドまでが、およそ70メートル。投手交代のたびに、次の投手がこの距離をてくてく歩いてくる。その間、試合は止まり、盛り上がっていた空気は少ししぼむ。

そこで球団が思いついたのが、球場整備を担う阪神園芸が持っていた荷物運び用のスクーターだった。その後部に交代投手を乗せ、マウンドまで一気に運ぶ。当時の朝日新聞は「今年からプレーの進行を早くするため、投手交代のとき、スクーターを利用することになった」と写真つきで伝えている。理由ははっきりしていて、記事はこう続く。「何しろいままでは、投手交代といったら広い球場のスミからマウンドまでノコノコ歩いてきていたため試合は中断され、せっかく盛上がった興味を半減していた」。

つまりリリーフカーは、最初から演出でもファンサービスでもなかった。試合を早く進めるための、いわば「早送りボタン」だったのだ。しかも同じ記事には「海の向うのアメリカ大リーグでは、早くからこれを採用しているとのこと」とある。日本はアメリカの真似をして、これを始めた。

ちなみに、記念すべき第一号のバイクに乗った投手は、ジーン・バッキーというアメリカ出身の投手だった。本場から来た選手が、本場を真似た新兵器に日本で最初に乗る。始まりからして、少しねじれていて面白い。

このバイクは1970年代の半ばまで続き、選手が運転手の背中にしがみついて走っていたという。やがて四輪の車に変わり、運転する人も、はじめは球場の係員、次にカートのような車になり、女性が運転するようになった。1980年代には一般公募で選ばれた「リリーフカー嬢」がハンドルを握るようになり、ここで一つ、性格が変わる。時間短縮のための道具だったものに、「見せる」という役割が加わったのだ。

本家アメリカは、あっさり捨てた

ここで話を、真似した相手であるアメリカに戻す。

アメリカのブルペンカーの歴史はもっと古く、1950年、クリーブランドの球団が「小さな赤い車」を走らせたのが最初とされる。その後もいろいろな球団が採用した。ニューヨークのヤンキースは、チームカラーの縦じま模様を塗った日本製の小型車を使っていたし、ミルウォーキーの球団はハーレーダビッドソンのオートバイを使っていた時期もある。

ところが、である。アメリカの選手たちは、この乗り物をあまり好まなかった。数十メートルのために車に乗せられるより、自分の足で歩いて気持ちをつくりたい。そんな空気もあって、メジャーリーグのブルペンカーは1995年を最後に、いったん完全に姿を消した。発祥の地で、45年ほどの歴史にいったん幕が下りたのだ。

面白いのはここからだ。時間短縮を旗印に始まったこの道具を、時間短縮に世界一うるさいはずのアメリカが捨て、真似をしたはずの日本が、後生大事に残した。しかも日本は、ただ残しただけではない。走る車を、どんどん豪華に、どんどん凝ったものにしていった。

(なお、間延びした試合時間に頭を悩ませたメジャーリーグは、2018年にブルペンカーを一部の球場で復活させた。時短のために捨てたものを、また時短のために引っ張り出してきた。道具の運命というのは、なかなか一直線には進まない。)

走ってきたのは、日本車の「アルバム」だった

日本の球場が使ってきたリリーフカーを時代順に並べると、それはそのまま、日本の車の流行を映すアルバムになる。ここが、車に興味がなくても「へー」と思える部分だと思う。

日本球場のリリーフカー変遷の写真

たとえば横浜の球団。1970年代の終わりには当時の人気セダンだったブルーバードを使い、1980年代の終わりには「Be-1」という車を走らせた。この Be-1、まん丸のヘッドライトにレトロな顔つきで、発売時に予約が殺到した伝説の小型車だ。続いて登場したのが「エスカルゴ」。フランス語でカタツムリを意味する名のとおり、荷室が丸くふくらんだ愛嬌のある商用車で、これもまた個性の塊だった。球団は、その時々でいちばん「顔になる」車を選んでいたわけである。

千葉の球団に至っては、もっと派手だ。屋根の開くボルボから始まり、アウディのオープンカー、さらにメルセデス・ベンツの高級オープンカーへとグレードを上げていった。マウンドに向かう数十メートルのために、数百万円級の外車のオープンカーを走らせる。実務だけで考えれば、明らかにやりすぎである。だが、そのやりすぎこそが見せ場になっていた。

広島の球団は、また違う方向に振り切っていた。かつては運転手が乗らない、無線でリモコン操作するリリーフカーを走らせていたことがある。地元に本社を置く自動車メーカーの技術を見せる、格好の舞台でもあったのだろう。マウンドに人だけが運ばれてくる不思議な光景は、それ自体がひとつのアトラクションだった。

そして近年、この「アルバム」の最新ページには、電気自動車が並び始めている。甲子園の球団は2022年から、超小型の電気自動車をベースにしたリリーフカーに切り替えた。千葉の球団は2025年から、韓国メーカーの電気自動車をホーム用の白、ビジター用の黒の2台で走らせている。そして2026年9月、横浜の球団は自動車メーカーと組み、その年に出たばかりの電気自動車を土台にした「新しいリリーフカー」を、9月22日の試合から走らせ始めた。ホーム用とビジター用の2台だけ、鮮やかな青緑に塗られ、世界にこの2台しかない特別仕様だという。製作には自動車の専門学校で学ぶ学生も加わった。

ガソリンからバイク、セダン、オープンカー、そして電気自動車へ。マウンド脇のたった数十メートルを走るだけの車が、半世紀をかけて、こんなにも姿を変えてきた。

役目は、半分終わっている

ところが、話はここで少しさびしい方向に折れる。

冒頭で書いたとおり、リリーフカーはいま、ほとんどの球場から消えている。プロ野球の本拠地となる12の球場のうち、これを常設しているのは数えるほどだ。理由は単純で、新しく建てられた球場では、ブルペンがベンチのすぐ裏あたりに置かれるようになったからだ。マウンドまでの距離が短い。歩いても、たいして時間はかからない。つまり、リリーフカーが生まれた最大の理由、「70メートルを早く運ぶ」という必要そのものが、消えてしまった。

甲子園でさえ、途中で一度こうなっている。外野のラッキーゾーンが1991年に撤去され、ブルペンがベンチ脇に移ると、リリーフカーはいったん使われなくなった。復活したのは、別の場所がブルペンとして使われるようになった1999年のことだ。道具は、置かれる場所が変われば、あっさり要らなくなる。

だとすれば、いま走っているリリーフカーは何なのか。それは、実務としての役目を半分終えた車が、それでも残ったものだ。効率だけで判断すれば、とっくに消えていていいはずの乗り物である。事実、本家アメリカは一度それを消した。なのに日本の一部の球場は、わざわざ豪華にしてまで残している。

「乗らなくてもいい車」が、なぜ愛されるのか

残った理由は、たぶん一つではない。

ひとつは、演出だ。ピンチのマウンドに向かう救援投手は、その試合の主役になりうる存在だ。壁が開き、車が芝を横切ってくる、あの数十秒は、主役を舞台に送り込む幕開けの時間になる。歩いて出てくるより、車で颯爽と現れるほうが、絵になる。時間短縮のために生まれた道具が、いつのまにか「時間をつくる」道具に反転していた。数十秒の移動を、わざわざ見せ場に変えているのだ。

もうひとつは、記憶だ。1977年、当時の後楽園球場で、ある選手が本塁打の世界新記録を打った。その試合後、記録を打ち立てた本人がリリーフカーに乗って場内を一周し、観客の声援に応えた。このとき運転席にいたのは、チームメイトの投手だったという。リリーフカーは、勝負の道具であると同時に、こうした「その球場でしか起きなかった一瞬」を運ぶ車でもあった。甲子園では今も、試合の主役になった選手が試合後にリリーフカーに乗り、球場を一周するのが名物になっている。人は、思い出の染み込んだ道具を、簡単には捨てられない。

そして、車を出すメーカーの側にも理由がある。何万人もの観客が見つめ、テレビにも映る球場は、自社の車を見せる格好の舞台だ。だからこそ、最新の電気自動車が真っ先にリリーフカーになる。役目を終えかけた小さな車は、いまや「次の時代の車を披露する実験場」という、新しい仕事を手にしている。青緑の特別仕様を専門学校生と一緒に作る、というのも、車の未来を担う人を育てる場としての意味が込められているのだろう。

効率で消えるはずのものが、意味で残る

リリーフカーの一生は、道具というものの運命を、きれいに見せてくれる。

最初は、はっきりした実務のために生まれた。70メートルを早く運ぶ。それだけだった。ところが時代が進み、球場の形が変わり、その実務は不要になった。効率だけを物差しにすれば、消えて当然だった。実際、生みの親でもない本家は一度消した。

それでも日本の一部の球場は、これを残した。残しただけでなく、豪華にし、電気自動車に載せ替え、特別な色を塗った。理由は、効率ではないものたちだ。見せ場になるから。思い出が乗っているから。誰かに見てもらいたい何かを乗せられるから。役目を終えたはずの道具が、別の意味を身にまとって生き延びる。リリーフカーは、その見本のような存在だ。

これは、野球にも車にも興味がない人の暮らしにも、たぶん覚えのある話だ。もう使わないのに手放せない古い道具が、あなたの家にもないだろうか。役目としてはとうに終わっているのに、思い出やちょっとした見栄えのために、棚の隅に残っているもの。私たちは案外、効率だけでものを捨ててはいない。何を残し、何を手放すか。その線引きの多くは、便利さではなく、意味のほうで決まっている。

次に野球中継で、外野から小さな車が走ってくるのを見かけたら、少しだけ投手から目を離して、その車を見てほしい。あれは、要らなくなってもなお愛された道具の、静かな成功例なのだ。

参照元: 日本のリリーフカーの起源・変遷・運用(Wikipedia「リリーフカー」)
リリーフカー第1号と甲子園70メートルの経緯(スポーツ報知 2021年1月2日、withnews 2017年7月28日)
甲子園のリリーフカーのEV化と役割(KINTO マガジン 2022年8月)
メジャーリーグのブルペンカーの歴史(英語版 Wikipedia「Bullpen car」、MLB.com)
千葉ロッテのリリーフカー変遷およびヒョンデ IONIQ 5 導入(球団公式発表、Hyundai 公式)
北海道日本ハムのリリーフカー(球団公式発表 2023年)
日産×横浜DeNAベイスターズ「NEWリリーフカー」お披露目2026年9月9日・運用開始9月22日(日産自動車 公式ニュースリリース 2026年9月9日)

車選びドットコムマガジン編集部

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