車の「カチッ、カチッ」は、もう本物の音じゃない。あなたが安心している合図の正体は、スピーカーから流れる“作りものの音”だった
「カチッ、カチッ」と鳴りつづけるウインカー音。いまどきの車の多くでは、あの音はスピーカーから流れる“効果音”だ。消えるはずだった音を人と機械がどうして残したのか、その意外に深い物語をたどる。
右に曲がろうとしてレバーを倒すと、運転席で「カチッ、カチッ」と規則正しい音が鳴りはじめる。信号待ちで左折を待つあいだも、車内にはずっとあのリズムが流れている。あまりに当たり前で、たいていの人は意識すらしない。
改めて考えると、少し不思議な音だ。あれはいったい、どこで鳴っているのだろう。
外で光っているランプの音が、車内まで届いているのか。電球が点くたびに、何かがカチカチ言っているのか。そう思っている人は、実は少なくない。だが答えはどちらも違う。あの音は、ランプが出している音ではない。
そしてもう一つ、多くの人が知らないことがある。いまどきの車、とくに新しい電気自動車の多くでは、あの「カチッ、カチッ」は本物の機械が鳴らしている音ではない。カーオーディオと同じスピーカーから流れている、録音・合成された“効果音”なのだ。
昔の車では、あの音には正真正銘の「本体」があった。それがいつのまにか消え、かわりに「あの音らしく聞こえるニセの音」が、わざわざ足されている。たかがウインカーの音だが、この小さな入れ替わりをたどっていくと、人が機械とどう付き合うか、という意外に深いところまで届く。
昔は、本当に「何か」が鳴っていた
まず、昔の車で鳴っていた音の正体から。
ウインカーは、点いたり消えたりを一定のリズムで繰り返す必要がある。ずっと点きっぱなしでは「曲がります」という合図にならないからだ。この点滅を作り出していたのが、「フラッシャーリレー」と呼ばれる、手のひらに乗るくらいの小さな部品だった。
古い方式のひとつが「サーマル(熱)式」と呼ばれるものだ。仕組みは、意外なほど原始的で美しい。ウインカーを出すと、金属の薄い板に電気が流れて熱を持つ。金属は熱で少しだけ反り返る。反ると電気の通り道がつながってランプが点く。すると板は冷えてもとに戻り、通り道が切れてランプが消える。冷えたらまた電気が流れて熱くなり、反って、点く。この「熱くなって反る、冷えて戻る」を秒に一回か二回のペースで延々と繰り返す。
このとき、金属の接点がくっついたり離れたりする。その瞬間に出る、ごく小さな機械の音。あれこそが「カチッ、カチッ」の正体だった。もう少し新しいコンデンサを使った方式でも、電磁石で金属の接点を引きつけて離す動きが音を生んでいた。
つまり昔の車は、音を鳴らそうとして鳴らしていたわけではない。点滅を作るための部品が、動くついでに“たまたま”音を出していた。ランプの点滅と音が同じ部品から生まれていたから、点滅と音はぴったり同期していた。片方のランプが切れて点滅が速くなると、あの音も同じテンポで速くなる。あれは故障の合図であると同時に、「音は本当にリレーが鳴らしている」という何よりの証拠でもあった。
電子化で消えるはずが、わざわざ「残された」
ところが、時代が進んで車の中身がコンピューター化されると、この小さな部品の出番がなくなっていく。
いまの車の点滅は、半導体やコンピューターが電気的に制御している。金属の板が熱で反ることも、接点がカチカチ触れ合うこともない。仕組みのうえでは、あの音はもう鳴らなくていい。むしろ、静かにしようと思えばいくらでも静かにできる。
それでも、あの音は消えなかった。多くの車は、電子ブザーや小さなスピーカーから、昔のリレーそっくりの「カチッ、カチッ」をわざわざ鳴らしている。本物の機械音が、人工的に作られた効果音に置き換わったのだ。
わざわざ手間をかけて、消えるはずだった音を復活させている。ここに、この話のいちばん面白い逆転がある。
なぜそんなことをするのか。答えは、人の目にある。運転中、人は前方を見て、ミラーを確認して、メーターに目をやって、と同時にいくつものことを処理している。目はいつもふさがっている。そんなとき、耳に届く音は貴重な助けになる。「カチッ、カチッ」が続いているかぎり、視線を落とさなくてもウインカーが働いているとわかる。逆に音が止まれば、消えたことがわかる。
そして、この音のいちばん大事な役目は「消し忘れの防止」だ。曲がり終えても消し忘れて延々と点滅させたまま走る車を、誰しも見たことがあるだろう。あれは後ろの車にとって、地味に危ない。次に何をするのか読めないからだ。だからメーカーは、耳ざわりにならない程度に音を残し、「まだ出ていますよ」と運転する人にそっと知らせ続けている。
実際、この「ニセの音」は思いのほか真剣に作り込まれている。日本の部品メーカーである矢崎総業は、機械式リレーの作動音にできるだけ近いウインカー音をスピーカーから出す方法について、アメリカで特許を取得している(2014年成立)。単に「ピッピッ」と鳴らすのではなく、あの懐かしい質感まで再現しようとしているわけだ。もはや失われた音の「復元」に、企業がわざわざ知恵を絞っている。
電気自動車では、この事情がさらにはっきり出る。フォルクスワーゲンの電気自動車「ID.Buzz」では、ウインカー音がスピーカーから流されていることを、同社の担当者がメディアの取材に認めている。同じメーカーでも、ガソリン車ではその音を省いているという。エンジン音のしない静かな車内で、人工の「カチッ、カチッ」だけが律儀に鳴っている。考えてみると、なかなか象徴的な光景だ。
そもそも、なぜ「点滅」で「あの速さ」なのか
ここまで来ると、もう一つの疑問がわいてくる。そもそもウインカーは、なぜ点滅するのか。なぜあの速さなのか。
点滅の速さには、実はきちんとした決まりがある。日本の「道路運送車両の保安基準」は、方向指示器は毎分60回以上120回以下の一定の周期で点滅しなければならない、と定めている。1秒あたりにすると、だいたい1回から2回。速すぎず、遅すぎず、人がひと目で「点滅している」と気づける範囲だ。この数字は世界でもおおむね共通していて、国際的な基準もほぼ同じ幅に収まっている。あなたが無意識に体で覚えているあのリズムは、実は各国の役所が線を引いた「規格」の中にある。
点滅させるのにも理由がある。ただ点いているだけの灯りは、ブレーキランプや車幅灯など、車にはたくさんある。その中で「これから曲がる」という特別な合図だけは、点いたり消えたりさせることで、他の灯りと見間違えないようにしている。動きのある光は、人の目を引きつける。だから、いちばん伝わってほしい合図を点滅にした。
面白いのは、この「曲がる方向を伝える」という工夫が、車の歴史とほぼ同じだけ古いことだ。車がまだ珍しかったころは、そもそも合図など要らなかった。台数が増えて速度も上がると、ぶつからないために「次にどっちへ行くか」を周りに伝える必要が生まれた。最初は、運転する人が窓から手を出して方向を示していた。自転車で習う手信号と同じ発想だ。
やがて手だけでは間に合わなくなり、車体の横に「腕木式」と呼ばれる棒が取り付けられる。曲がるときにスイッチを入れると、しまってあった小さな矢羽根がピョコンと飛び出して方向を示す仕組みだ。鉄道の腕木式信号機を車に持ち込んだようなもので、日本では作っていた会社の名から「アポロ」の通称で親しまれた。バスの一番前の席から、右左折のたびに矢羽根が立ち上がっては倒れる様子を眺めていた、という人もいる。
その後、点滅する電球式のウインカーが登場する。アメリカのゼネラルモーターズが1938年に採用したのが早い例で、翌々年にはハンドルを戻すと自動で合図が消える仕組みまで加わった。いまの車とほぼ同じだ。飛び出す腕木式は少しずつ姿を消し、日本では1973年の法改正で、新車には点滅式しか付けられなくなった。手信号から腕木、そして点滅式へ。合図の道具は、より遠くから、より速く、より確実に伝わる方向へ進化してきた。ちなみに車の合図の初期の工夫には、サイレント映画のスター女優が関わったという逸話まで残っている。
消えかけの手ざわりに、私たちは何を頼っているのか
あらためて見渡すと、車のウインカー音には、ずいぶん長い物語が畳み込まれている。
かつては、点滅を作る部品がたまたま出していた本物の機械音。それがコンピューター化で不要になり、いったんは消えかけた。ところがメーカーは、人が耳で頼りにしていたことを知っていたから、わざわざ「あの音らしい音」をスピーカーから鳴らして残した。消えるはずの音を、手間とお金と特許まで使って作り直している。
これは車に限った話ではないかもしれない。スマホのカメラの「カシャッ」も、いまや物理的なシャッターの音ではなく、あとから足された効果音だ。パソコンのゴミ箱に何かを捨てるときの「クシャッ」も同じだ。私たちは知らないうちに、たくさんの「もう鳴る必要のない音」に囲まれ、それを手がかりに「ちゃんと動いた」と安心している。機械が静かになりすぎると、人はかえって不安になる。だから作り手は、消えた音をそっと戻す。
次に車に乗ってウインカーを出したら、少しだけ耳をすませてみてほしい。あの「カチッ、カチッ」は、たぶんもう本物ではない。金属が熱で反ってはいないし、接点も触れ合ってもいない。それでもあの音は、あなたが視線を前に向けたまま安心していられるように、そして後ろの誰かに「これから曲がります」と伝わるように、律儀に鳴り続けている。
合図というのは、そもそも自分のためではなく、まわりの誰かのためにある。消えかけた小さな音を人がわざわざ残したのは、結局、他人にちゃんと伝えたいという気持ちのあらわれなのだと思う。何気なく聞き流していたあのリズムは、機械の名残であると同時に、見知らぬ他人へ向けた、いちばん短いコミュニケーションだった。
参照元: 国土交通省「道路運送車両の保安基準の細目を定める告示 第215条(方向指示器)」・道路運送車両の保安基準 第41条(方向指示器/毎分60回以上120回以下)・webCG「第42回:ウインカーの誕生と発展 進化する自動車のコミュニケーション」(自動車ヒストリー)・WEB CARTOP「アポロウィンカーってどんなアイテム? 仕組みや見なくなった理由について解説!」・The Drive「Listen to the VW ID Buzz's Fake Blinker Sounds」・米国特許 US8638208 B2「Method for generating turn-signal sound of vehicle and device using the same」(矢崎総業)






















