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「事故を起こす前に免許を返そう」と言われた親が、返した途端に弱っていく。安全のための決断が、なぜ体を壊すのか

記事サムネイル - 免許返納と健康リスク

免許返納が親の健康に及ぼす意外なリスク。研究データから見えた「返納後の要介護リスク2倍」の衝撃と、運転をやめても元気でい続けるための「第三の道」を解説する。

Chapter
運転をやめた人は、要介護になるリスクが約2倍だった
カギは「やめたあと、どう動いたか」にあった
それでも「返さなくていい」とは言えない
「いきなり返納」ではなく「やめる練習」という発想
親に切り出す前に、用意しておきたいこと
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親が八十歳を過ぎたあたりから、子どもの側にはひとつの宿題がのしかかる。免許の返納だ。

ニュースでは高齢ドライバーの痛ましい事故が繰り返し流れる。アクセルとブレーキの踏み間違い、高速道路の逆走。そのたびに「うちの親は大丈夫だろうか」という不安が頭をもたげる。だから、勇気を出して切り出す。「そろそろ免許、返したほうがいいんじゃない」と。説得は正しいことのように思える。事故を起こしてからでは遅いのだから。

ところが、ここに気味の悪い話がある。免許を返した親が、その後、目に見えて弱っていくケースが少なくない。返納の半年後、一年後に会うと、足取りが重く、口数が減り、家からあまり出なくなっている。家族はたいてい「歳だから仕方ない」と片づける。だが、それは本当に加齢のせいなのか。それとも、運転をやめさせたこと、そのものが原因なのか。

実は、これを正面から調べた日本の研究がある。そして結論は、多くの人が信じている「返納=安全で良いこと」という構図を、静かに、しかし決定的に揺さぶるものだった。

運転をやめた人は、要介護になるリスクが約2倍だった

筑波大学の市川政雄教授らの研究チームが、二〇一九年にその結果を発表している。掲載されたのは国際的な疫学の専門誌で、決して扇情的な週刊誌記事の類ではない。

調べ方はこうだ。愛知県内の四つの市町に住む六十五歳以上の高齢者のうち、二〇〇六年から〇七年の時点で「要介護認定を受けておらず、かつ自分で車を運転していた」二千八百四十四人を選び出す。つまり、出発点では全員が元気で、ハンドルを握れる人たちだ。そのうえで、その後の数年で運転をやめたかどうかを追い、さらに数年間にわたって、誰が要介護認定を受けることになったかを記録していった。

結果として浮かび上がった数字は、こうだった。

運転をやめた人のリスク約2倍のイメージ図

運転をやめた人は、運転を続けた人に比べて、要介護状態になるリスクが約二倍に上っていた。年齢や性別、もともとの健康状態、持病、うつの傾向、外出の頻度といった、影響しそうな要素を統計的に取り除いたうえでの数字である。

ここで多くの人が反射的に思うはずだ。「それは順番が逆では」と。体が弱ったから運転をやめたのであって、やめたから弱ったわけではないだろう、と。研究者たちも当然それを警戒している。だからこそ、出発点で全員が要介護認定を受けていない、運転できている人だけに絞り込んだ。さらに、もとの健康状態や持病まで数値で調整している。それでもなお、運転をやめた群のリスクは高いまま残った。

「弱ったからやめた」だけでは説明しきれない何かが、「やめたこと」の側にある。研究はそう示唆している。

カギは「やめたあと、どう動いたか」にあった

第三の道・自分の足で動き続けるイメージ

この研究がただ怖いだけで終わらないのは、もうひとつの数字を並べているからだ。

運転をやめた人をさらに二つに分けてある。ひとつは、やめたあとに公共交通機関や自転車を使って自分で動いている人。もうひとつは、家族の送迎などに頼り、自分では能動的に移動しなくなった人だ。

前者、つまりバスや電車や自転車で動き続けた人の要介護リスクは、約一・七倍にとどまっていた。運転を続けた人と比べればまだ高いが、自分で動かなくなった人よりは明らかに低い。運転をやめること自体が問題なのではなく、やめた結果として「自分の意思で外に出て、自分の体で移動する」という営みごと手放してしまうことが、体に効いてくる。データはそう語っている。

考えてみれば、運転とは単にA地点からB地点へ体を運ぶ作業ではない。今日はどこへ行こうかと考え、財布と鍵を持ち、玄関を出て、信号や歩行者に注意を払い、駐車場で目当ての店を探し、店員と言葉を交わす。その一連の流れの中に、判断、注意、段取り、人との接触といった刺激がびっしり詰まっている。運転をやめ、送迎されるだけの存在になるとは、この刺激のかたまりを丸ごと生活から抜き取ることでもある。

外に出る回数が減れば、足腰が衰える。人と話す機会が減れば、頭への刺激が減る。出かける用事を自分で組み立てなくなれば、計画する力が鈍る。こうした小さな目減りが積み重なった先に、要介護や認知機能の低下が待っている。「歳だから弱った」と見えていたものの正体は、その一部が「動かなくなったから弱った」だったのかもしれない。

それでも「返さなくていい」とは言えない

ここまで読んで、「やっぱり親には運転を続けさせよう」と結論を急ぐのは早い。話はそんなに単純ではない。

運転をやめれば、その人が事故を起こすことは確かになくなる。高齢ドライバーの重大事故は現実に起きていて、被害者は他人であることも多い。「本人の健康のために運転を続けてもらう」という選択は、裏を返せば「他人を巻き込む可能性を抱え続ける」という選択でもある。健康のリスクと事故のリスクは、片方を立てれば片方が引っ込む、やっかいなシーソーの関係にある。

研究チーム自身も、この点はきわめて慎重に書いている。要介護リスクが二倍になるという結果は、「だから運転を続けるべきだ」という主張ではない。彼らが言っているのは、高齢ドライバー対策を考えるときに、事故のリスクだけを見て安心してはいけない、健康のリスクも同じ天秤に載せるべきだ、ということだ。

つまり問いは、「返すか、続けるか」の二択ではない。本当に効くのは、その間にある第三の道である。運転をやめても、自分の足で動き続けられる状態をどう用意するか。先ほどの「公共交通や自転車を使った人は一・七倍にとどまった」という数字こそ、その第三の道が実在することの証拠だった。

「いきなり返納」ではなく「やめる練習」という発想

ここで、二〇二六年に新潟県の小千谷市が始めた、ささやかだが象徴的な取り組みを紹介したい。

その名も「お試し免許返納」。市内に住む七十歳以上の高齢者が、「この先一カ月以上、車を運転しません」と宣言する。実際に一カ月、公共交通機関だけで暮らしてみてもらう。その体験を終えると、路線バスの回数券一万一千円分か、市内の乗合タクシーなどに使える共通利用券一万円分が支給される。免許そのものはまだ手元にある。あくまで「お試し」だ。

一見すると、ただのバス利用促進キャンペーンに見える。だが、ここには発想の転換が埋め込まれている。これまでの返納支援の多くは、「返した人に特典をあげます」という、決断したあとへのご褒美だった。小千谷市のやり方は順番が違う。返す前に、車のない生活を一度通しで体験させる。バス停まで歩いてみる。時刻表を調べてみる。乗り換えに戸惑ってみる。そのうえで、自分はやっていけそうか、何が足りないかを、本人と家族が肌で確かめる。

これは、運転をいきなり奪うのではなく、運転をやめたあとの「動き続ける生活」を先に練習させる試みだと言える。先ほどの研究が示した、リスクを分ける分かれ道。バスや自転車で動く側に立てるかどうかを、免許を手放す前に試走しておく。返納を「終わり」ではなく「次の移動手段への乗り換え」として設計し直す発想である。

もちろん、本数の少ない地域では、バス券をもらっても使いようがないという現実もある。制度がすべてを解決するわけではない。それでも、「返させること」がゴールだった発想から、「やめても動ける状態を作ること」へと重心を移した点に、意味がある。

親に切り出す前に、用意しておきたいこと

この話は、地方に住む年老いた親を持つ人にとって、けっこう切実な実用知に変わる。

親に「免許を返したら」と言うとき、私たちは無意識に、それで一件落着だと思っている。事故の不安が消えて、ほっとする。だが研究が告げているのは、返納はゴールではなく、別のリスクの入口でもあるということだ。返した親が家に閉じこもり、半年で見違えるほど弱る。そうなってから「こんなはずでは」と悔やむより、切り出す前に手を打てることがある。

返納をお願いするなら、同時に「では、これからどうやって外に出るか」をセットで差し出す。最寄りのバス停まで一緒に歩いてみる。乗合タクシーの呼び方を一緒に練習する。週に一度の買い物や通院を、送迎ではなく本人が自分で行ける段取りに組み替える。要は、ハンドルを手放しても「自分の意思で外に出る回数」を減らさない工夫を、返納と抱き合わせで用意することだ。

それは親孝行のための余分な手間ではない。要介護になる時期を遠ざけるための、もっとも安あがりな投資かもしれない。送迎してあげることが優しさだと思いがちだが、データの上では、送ってもらうばかりになった人ほどリスクが高かった。むしろ、多少不便でも自分で動いてもらうこと。見守りながら、自分の足で出かける生活を続けてもらうこと。それが、長い目で見た本当の優しさになりうる。

車を返すという決断は、安全をめぐる話だとずっと思われてきた。けれど本当は、その人がこれからも自分の意思で外の世界とつながり続けられるかという、もっと大きな話だった。免許証は一枚のカードだが、そこにぶら下がっていたのは、移動の自由そのものだったのだ。

参照元:

- Hirai H, Ichikawa M, Kondo N, Kondo K. 「The Risk of Functional Limitations After Driving Cessation Among Older Japanese Adults: The JAGES Cohort Study.」Journal of Epidemiology, 2020(運転中止者の要介護認定リスク約2倍、公共交通・自転車利用ありで約1.7倍) - 日本老年学的評価研究(JAGES)報道発表「運転中止で要介護認定のリスクが2倍」(2019年9月) - CAR CARE PLUS「免許返納前に公共交通を体験、新潟県小千谷市が新制度…助成券最大1万1000円分」(2026年6月7日) - 新潟日報・47NEWS「公共交通使ってみて!小千谷市が『お試し免許返納』試行」(2026年5月29日)

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