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運転している人が死んでも、その乗り物は乗客を守って停まる。100年前に「デッドマン」と名づけられた発想が、いま自家用車まで降りてきた

デッドマン装置 記事サムネイル

運転する人が走行中に突然倒れたら? 鉄道で100年前から使われてきた「デッドマン」発想が、バスやトラックを経て、ついに自家用車にも広がり始めている。知られざる安全装備の進化を追う。

Chapter
語源は鉄道。「運転士が死んでも、列車を暴走させない」
なぜ車は遅れたのか。線路の上と、道路の上の決定的な違い
15人が亡くなった夜が、制度を動かした
ボタンから「顔を見る車」へ。バスが積んだ二段構えの仕組み
そして、あなたの乗用車にも降りてきた
次に車を選ぶとき、「誰が倒れても」という目で見てみる
デッドマン装置 記事サムネイル

バスに乗っているとき、運転席のことを気にする人はほとんどいない。スマホを見て、うとうとして、降りる停留所が近づいたらボタンを押す。運転している人が前を向いてハンドルを握っている、それは空気のように当たり前の前提だ。

けれど、その前提が崩れる瞬間がある。運転している人が、走行中に突然意識を失ったら。心臓の発作、脳の出血、それは健康診断を通った人にも、若い人にも、確率はゼロではない形で起こる。そのとき、時速80キロで走る十数トンの箱には、誰もハンドルを握っていない。乗客は、自分では何もできない。

この「もし運転する人が死んだら」という不吉な問いに、実はもう100年近く前から名前がついている。デッドマン。直訳すれば「死んだ人」。物騒なこの言葉は、いま静かに、路線バスや観光バスを越えて、あなたが次に買うかもしれない普通の乗用車にまで広がりつつある。

車の話をしているようで、これは「人が倒れたあと、機械はどこまで人の代わりをできるか」という話だ。少しだけ付き合ってほしい。

語源は鉄道。「運転士が死んでも、列車を暴走させない」

鉄道のデッドマン装置 説明用画像

デッドマンという発想の生まれ故郷は、車ではなく鉄道だ。

仕組み自体はとても素朴で、少し不気味なくらい単純である。運転士はマスコン(電車のアクセルに当たるハンドル)や足元のペダルを、走っているあいだずっと軽く押さえ続ける。手や足を離すと、装置が「押さえるべき人がいなくなった」と判断して、自動的に非常ブレーキをかける。運転士が発作で倒れて手が離れれば、列車はひとりでに停まる。

その名の通り、「運転士が死んで(=dead man)、列車が誰にも制御されないまま暴走するのを防ぐ」という発想から来た言葉だといわれている。人が握っていることそのものを、機械が生存確認のように使うわけだ。

日本の鉄道には、これに近いもう一つの装置もある。EB装置(Emergency Brake、緊急列車停止装置)だ。こちらは「押さえ続ける」のではなく、一定時間(多くは60秒)、ハンドルもブレーキも警笛も何ひとつ操作されないと、まずブザーが鳴る。それでも人が反応しなければ、非常ブレーキがかかって列車を停める。居眠りや意識喪失を「一定時間の無操作」で検知するという考え方である。

この2つは日本ではかなり普及していて、2006年の省令改正で、新しく作る鉄道車両にはデッドマン装置かEB装置のどちらかの設置が義務づけられた。既存の車両も努力義務になった。私たちが毎朝乗っている電車の運転席には、「運転士が倒れたら列車を停める仕組み」がほぼ標準で組み込まれている。ただ、乗客からは見えないだけだ。

つまり、鉄道の世界では「運転する人が倒れる可能性」を前提に設計する、という文化がとうの昔に根づいていた。問題は、車だ。

なぜ車は遅れたのか。線路の上と、道路の上の決定的な違い

同じ乗り物なのに、なぜ車ではこの発想が長く実用化されなかったのか。ここに、あまり意識されない大きな違いがある。

鉄道は、レールという決まった線の上しか走れない。だから「とにかく減速して停める」だけで、ほぼ安全が確保できる。脱線しない限り、列車が勝手に歩道へ突っ込んでいくことはない。

ところが道路は違う。運転する人が意識を失った車をただ止めようとしても、その前にハンドルが切れて対向車線にはみ出すかもしれない。急ブレーキをかければ後ろから追突される。周りには歩行者もいれば自転車もいる。「握るのをやめたら停める」という鉄道式の単純な仕組みでは、道路ではかえって危ない。

だから車で必要になるのは、もっと賢い判断だ。ハンドルを保持して車線の中にとどまりながら、ゆっくり減速し、周りに危険を知らせ、できれば安全な場所に寄せて停める。ハザードを点け、ホーンを鳴らして外の人にも異常を伝える。この一連の動きを、倒れた人の代わりに機械が全部やる必要がある。技術的なハードルは、鉄道よりずっと高かった。

そして、その高いハードルを日本が本気で越えにいく引き金になったのは、技術の進歩ではなく、一つの事故だった。

15人が亡くなった夜が、制度を動かした

2016年1月15日の未明、長野県軽井沢町の国道で、東京からスキー場へ向かっていた大型の貸切バスが道路脇に転落した。乗客13人と乗務員2人、あわせて15人が亡くなり、26人が重軽傷を負った。多くが大学生だった。

事故の主因は運転手の意識喪失そのものではなく、運転技量や運行管理など複数の問題が重なったものと報じられている。それでも、この事故は「バスの運転席で何かが起きたとき、乗客はまったくの無力だ」という現実を、社会に突きつけた。

国はここで速く動いた。事故から2か月あまり後の2016年3月、国土交通省は世界に先駆けて、ドライバー異常時対応システム(英語の頭文字からEDSSと呼ばれる)のガイドラインを策定した。運転する人が突然の体調異変で運転できなくなったとき、車が自動、あるいは乗客・乗務員の操作で、安全に停止するための技術要件を定めたものだ。

鉄道が100年かけて育ててきた「運転する人が倒れる前提」の発想が、ここで初めて、日本の自動車行政の正式な設計思想として書き込まれた。悲劇が、制度の言葉に翻訳された瞬間だった。

ボタンから「顔を見る車」へ。バスが積んだ二段構えの仕組み

ガイドラインができると、車を作る側が動いた。

2018年7月、日野自動車が大型観光バス「セレガ」に、商用車として世界で初めてEDSSを標準装備した。このときの仕組みは押しボタン式だ。運転席のドライバー自身、あるいは客席の最前部にいる乗客・添乗員が非常ボタンを押すと、車がハザードとホーンで周囲に異常を知らせながら減速し、停止する。「運転手の様子がおかしい」と誰かが気づいたら、乗っている人の手で車を止められるようにしたわけだ。

さらに翌2019年7月、日野は同じセレガで、今度は自動検知式を商用車で世界初として搭載した。運転席のドライバーの顔をカメラで見張り、AIが顔の向きや状態を判断する。加えて、車が車線からはみ出しかけていないかも監視する。人が反応しないまま車がふらつき始めれば、誰もボタンを押さなくても、車のほうから「この人はもう運転できていない」と判断して停止に入る。倒れた人が、ボタンを押す力すら残っていない場合を想定した進化だった。

この動きは日野だけにとどまらなかった。いすゞは2019年に路線バス「エルガ」などへEDSSを標準装備し、2021年には国内トラックで初めて大型トラック「ギガ」にも設定した。三菱ふそうも路線バスや大型トラックに展開し、UDトラックスも搭載を進めた。数年のうちに、日本の大きな商用車の世界では「運転する人が倒れたら、車が乗客と周囲を守って停まる」ことが、珍しい先進装備から当たり前の標準へと変わっていった。

国土交通省の集計では、運転する人の健康状態が原因になった事業用自動車の事故は、2020年に路線バスと観光バスで合わせて131件、トラックで105件起きていて、増加傾向にあるとされる。運転する人が走行中に倒れることは、ニュースになる特別な出来事ではなく、統計に載る現実として、毎年百件単位で起きている。

そして、あなたの乗用車にも降りてきた

ここまではプロが運転する大きな乗り物の話だった。だが、この発想はもう、私たち自身のマイカーの世界に入り込んでいる。

日産は、高度な運転支援機能「プロパイロット2.0」を積んだ車で、運転する人が一定時間ハンドル操作などに反応しないと、車が減速・停止したうえで、自動で緊急通報センターにつながる仕組みを用意している。マツダは、高速道路だけでなく一般道でも作動するEDSS技術を公開し、車種によって「高速では路肩に寄せて停める」「一般道では車線の中で停める」と、道路に応じて止め方を変える方向へ進んでいる。トヨタやスバルも、運転支援が働いている場面に限ってではあるが、似た機能を搭載した車を出している。

ただし、ここには正直に線を引いておきたい。乗用車のこうした機能の多くは、いまのところ「運転支援機能が作動しているあいだ」など、条件つきで働くものが中心だ。どんな状況でも必ず助けてくれる万能装置ではない。乗用車全体への装着義務化について、国が具体的な時期を示した情報は確認できていない。今はメーカーが自主的に載せ、少しずつ搭載車種を増やしている普及の途中にある。

それでも流れははっきりしている。「運転する人はずっと元気で、前を向いてハンドルを握っている」という、私たちが疑いもしなかった前提を、車のほうが手放し始めた。人はいつか倒れるかもしれない。その一瞬に備えて、機械が生存確認をし、代わりにブレーキを踏む。100年前の鉄道が「デッドマン」と名づけた発想が、電車から、大型バスへ、トラックへ、そしてついに自家用車の運転席まで降りてきたのだ。

次に車を選ぶとき、「誰が倒れても」という目で見てみる

車を買うとき、多くの人が気にするのは燃費や広さや値段、そして自動ブレーキだろう。自動ブレーキは「前の車や人にぶつかりそうになったら止まる」機能で、これはかなり浸透した。

一方で、この記事で見てきたのは、それとは向きが逆の安全だ。ぶつかりそうな相手から自分を守るのではなく、運転している自分自身が倒れたときに、同乗している家族や周りの人を守る仕組み。前者は「相手」を見ているが、後者は「運転席の人間そのもの」を見ている。同じ「安全装備」という言葉でくくられていても、守ろうとしている対象がまるで違う。

高齢の親が運転する車、子どもを乗せて長距離を走る車、一人で夜の高速を走る車。どれも、運転する人が突然倒れる確率がゼロではない場面だ。次に車を選ぶとき、カタログの隅にある「ドライバー異常時対応」「緊急時停止支援」といった、地味で目立たない項目を一度見てみてほしい。そこに書かれているのは、あなたが元気なあいだは一生使わないかもしれない機能だ。けれど、たった一度の「もしも」のとき、運転席の人間に代わって乗客の命を引き受けるのは、その一行に書かれた仕組みかもしれない。

運転席に人がいることを、私たちは空気のように信じている。その信頼を裏側からそっと支えるために、「死んだ人」という物騒な名前の思想が、100年かけて電車から車へと旅をしてきた。次にバスや車に乗るとき、運転席のことを少しだけ思い出してもらえたら、この話は役目を果たしたことになる。

参照元: 鉄道コム(列車の運転士が急に意識を失ったら? 安全を担保する2つの装置)、フリー百科事典ウィキペディア日本語版(デッドマン装置/緊急列車停止装置/軽井沢スキーバス転落事故)、国土交通省報道発表資料(ドライバー異常時対応システムのガイドライン策定について)、日野自動車ニュースリリース(2018年5月・2019年6月)、いすゞ自動車ニュースルーム(2019年6月・2021年5月)、三菱ふそうトラック・バス プレスリリース、日本バス協会関連資料(国土交通省集計を含む)、日産自動車 プロパイロット2.0 操作説明、マツダ技術公開に関する各社報道

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