一度は「一緒になる話」が壊れたホンダと日産が、外から見えない「頭脳」だけは一緒にすると決めた。車のブランドとは、いったい何を指しているのか
経営統合の破談から約1年半。外から見えない「頭脳」だけを共通化するホンダと日産の選択を手がかりに、車のブランドが指すものの変化を考える。
- Chapter
- 「一緒になろう」が壊れた二社が、いちばん奥の部分だけ一緒にする
- 車が「スマホ」に近づいている、という話
- 「見えない土台」を一社で持つと、割に合わない
- 私たちは、車の「何」を選んでいるのか
- おわりに
車のニュースというのは、たいてい「見えるもの」の話だ。新しい形になった、色が増えた、馬力が上がった、値段が下がった。写真が一枚あれば、車に興味のない人でも「へえ、かっこよくなったね」くらいは言える。
ところが2026年の夏の終わりに流れたある発表は、写真がほとんど役に立たなかった。形の話でも、色の話でもない。車のいちばん奥にある、ふだん誰も目にしない部分の話だったからだ。
8月31日、ホンダと日産が、次世代の車の「頭脳」にあたる部分を共通化する、という共同開発の契約を結んだと発表した。専門的な言い方をすれば、車の中で動く基本ソフトや、それを動かす複数の制御装置の主要部分を、両社で同じものにそろえる、という合意だ。実際に両社のこれからの新型車に載せるのは2029年度以降を目指すとされている。
この一行を読んで、多くの人は「ふうん」で通り過ぎると思う。だが、ここには二重の意味で「へえ」が隠れている。ひとつは、この二社がついこの前まで「まったく別の話」をしていたこと。もうひとつは、私たちが車を選ぶときに信じている「メーカーで選ぶ」という感覚が、静かに揺らぎ始めているということだ。
「一緒になろう」が壊れた二社が、いちばん奥の部分だけ一緒にする
まず、この二社の関係をおさらいしておきたい。車に詳しくなくても、ニュースの見出しでなんとなく覚えている人は多いはずだ。
2024年の暮れ、ホンダと日産は経営統合、つまり会社そのものを一つにする方向で検討を始める、と発表した。国内では大きなニュースになった。ところが年が明けた2025年2月、この話はまとまらずに終わる。統合の条件が折り合わなかった、というのが表向きの理由だった。両社は「終了」を正式に発表し、いったんこの縁談は白紙に戻った。
普通の感覚なら、破談になった相手とは距離を置く。ところが両社は、会社を一つにする話が消えたあとも、技術ごとの協力だけは静かに続けていた。そして今回、そのうちのひとつが具体的な契約という形になった。それが「頭脳の共通化」である。
ここが最初の「へえ」だ。会社を一つにするという、いちばん大きな一体化は壊れた。それなのに、車のいちばん奥にある土台だけは一緒にする。外から見える部分、つまりデザインも、走りの味つけも、店の看板も、これまでどおり別々のまま、競い合う。見えないところだけ手を組む、という妙な距離感である。
なぜそんなことになるのか。答えは、いま車の世界で起きている大きな地殻変動にある。
車が「スマホ」に近づいている、という話
ここ数年、業界では「SDV」という言葉が呪文のように飛び交っている。ソフトウェア・デファインド・ビークルの略で、直訳すると「ソフトウェアで決まる車」となる。
言葉だけ聞くと難しそうだが、中身はそれほど複雑ではない。あなたのスマートフォンを思い浮かべればいい。買った直後と一年後で、スマホの見た目は同じでも、できることは少しずつ増えている。夜になると勝手に更新が走り、翌朝にはカメラの機能が良くなっていたり、地図が新しくなっていたりする。ハードは変わっていないのに、中のソフトが書き換わることで、同じ機械が別の顔を見せる。
これと同じことを車でやろう、というのがSDVの発想だ。国も、電波を通じて車の機能を更新し続け、新しい価値を生み出せる次世代の車、という趣旨で説明している。買ったあとも運転支援の性能が上がったり、使える機能が増えたりする。車が「完成品として出荷され、あとは古びていくだけのもの」から、「出荷されたあとも育っていくもの」へ変わる、ということだ。
この変化が、車のつくり方の重心をまるごとひっくり返しつつある。
かつて車の価値は、エンジンの気持ちよさ、車体の剛性、サスペンションの詰め方といった、金属とオイルの世界にあった。職人が磨き上げる「手ざわり」の勝負だ。ところがSDVの時代には、その上に「ソフトウェアという頭脳」が乗る。しかもその頭脳が、車の性格をどんどん決めるようになっていく。
どのくらいの規模の話なのか、数字で見ると少し驚く。現代の車1台には、電子制御装置と呼ばれる小さなコンピューターが、車種によって数十個から100個以上も積まれているとされる。そこで動くプログラムを全部足すと、およそ1億行に達する、という数字が業界では広く引用されている。旅客機のボーイング787でおよそ1400万行、スマホのアンドロイドの基本ソフトで1200万から1500万行程度と言われるから、それをはるかに上回る計算だ。
念のため断っておくと、この「1億行」は数え方によって幅が出る推定値で、厳密な計測方法が定まっているわけではない【未確認】。ただ、桁の大きさとして「車はいまや空を飛ぶ飛行機よりも複雑なソフトの塊になっている」という向きは、多くの技術者が認めるところだ。
そして、ここまでソフトが巨大になると、一社だけで全部を抱えるのが割に合わなくなる。
「見えない土台」を一社で持つと、割に合わない
想像してみてほしい。1億行という途方もない量のプログラムを、絶えず点検し、不具合を直し、新しい機能を足し、しかも何年にもわたって安全を守り続ける。これを自分の会社だけで、車種ごとにバラバラに開発していたら、どれだけの人手とお金が要るだろうか。
しかも、この巨大なソフトの土台そのものは、たいていの利用者にとって「感じ取れない部分」である。私たちがハンドルを握って「この車は気持ちいい」と思うとき、頭に浮かぶのはアクセルの反応やシートの座り心地であって、その裏で1億行が働いていることは意識しない。意識されないのに、開発コストだけは莫大にかかる。
だとすれば、そこを競い合う意味は薄い。むしろ、感じ取れない土台は仲間と分け合い、浮いた力を「客に感じてもらえる部分」に集中させたほうがいい。ホンダと日産が「見えない頭脳だけ共通化する」と決めたのは、そういう計算だ。両社の説明でも、開発の効率を上げ、スピードを速め、まとめて作ることでコストを下げる、という狙いが並んでいる。
この構図、実は私たちの身のまわりにいくらでもある。
たとえばテレビやスマホの中身。見た目もメーカーもロゴも違う製品が、開けてみると同じ会社の作った画面や部品を使っている、というのは珍しくない。パソコンの世界では、外側のブランドは何十種類もあるのに、中で動く基本ソフトはほとんどがウィンドウズか、りんごのマークのものか、という二強に集約されている。私たちは「どのメーカーのパソコンか」で選んでいるつもりで、実は「どの陣営のソフトの上で暮らすか」を選んでいる。
車も、これと同じ方向へ歩き出している。外側のブランドは競い合ったまま、内側の土台だけ少数の陣営に寄っていく。今回の合意には、三菱自動車が加わるかどうかも取り沙汰されている。もしそうなれば、日本の複数のメーカーの車が、外見はまったく違うのに、いちばん奥の頭脳は同じ血筋、という時代が来る。
私たちは、車の「何」を選んでいるのか
ここで、車に興味があるかどうかとは別の、もっと素朴な問いが立ち上がる。
私たちが「この車が好きだ」「このメーカーを信頼している」と言うとき、その気持ちは、いったい車の「どこ」に向いているのだろう。
外見だろうか。走りの味だろうか。それとも、その一台に積まれた見えない頭脳だろうか。これまでは、その全部がひとつのメーカーの中で完結していたから、区別する必要がなかった。「ホンダらしさ」も「日産らしさ」も、金属からソフトまで全部ひっくるめての話だった。ところが、いちばん奥の土台が共通になると、「らしさ」はどこに宿るのか、という問いが初めて表に出てくる。
作り手はもちろん、外から見える部分で個性を出そうとするだろう。デザイン、乗り味、ブランドの物語。だが土台が同じである以上、突きつめれば「同じ中身に、違う服を着せている」状態に近づいていく。それを「実質的に同じもの」と感じるか、「服こそがその車の本質だ」と感じるかは、これから消費者一人ひとりに委ねられていく。
そしてこの話は、車を「買う」ときだけでなく「手放す」ときにも効いてくる可能性がある。スマホを思い出してほしい。数年たつと「この機種はもう更新の対象外です」という日が来る。同じことが車にも起こりうる。買ったあとも育ち続ける車は魅力的だが、裏を返せば「いつまで育ててもらえるか」がメーカーの都合で決まる、ということでもある。更新が続く車と、打ち切られた車。将来の中古車市場では、走行距離や年式と並んで「まだアップデートされているか」が値段を左右する日が来るかもしれない。土台を共通化して長く支える体制は、そのとき、意外なかたちで持ち主の財布に返ってくる。
おわりに
破談になった相手と、見えない頭脳だけ手を組む。一見すると奇妙なこのニュースは、車という商品の重心が「金属」から「ソフト」へ移っていく、その途中経過を切り取った一枚の断面だ。
次に街で車を眺めるとき、あるいは自分の車の買い替えを考えるとき、ほんの少しだけ視線をずらしてみてほしい。あなたが「かっこいい」と思っているその外側の奥には、もう写真には写らない巨大な頭脳が積まれていて、その頭脳は、あなたの知らないところで、かつてのライバル同士に分け合われ始めている。
車を選ぶという行為は、これからだんだんと、スマホのOSを選ぶことに似てくる。そのとき私たちは、車の何に「らしさ」を感じ、何にお金を払っているのか。ハンドルを握る前に、一度だけ立ち止まって考えてみる価値のある問いだと思う。
参照元: 日産自動車 ニュースリリース「日産自動車とHonda 次世代SDVの中核を構成するECUやソフトウェアの共通化に向けた共同開発契約を締結」(2026年8月31日)、本田技研工業 ニュースリリース(2026年8月31日)、日産自動車・本田技研工業「経営統合に向けた検討に関する基本合意書の締結」(2024年12月23日)および統合検討の終了に関する発表(2025年2月13日)、経済産業省「モビリティDX戦略」概要資料(SDVの定義)、一般財団法人 機械振興協会経済研究所 報告書(車載ソフトウェア・ECU搭載数に関する記述)、ETAS/ポルシェ ニュースルーム(車載ソフトウェアのコード行数に関する言及)























