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前の人が残していったゴミを、なぜあなたが片づけることになるのか。「みんなの車」が教えてくれる、ノーベル賞級の古い問題

前の人が残していったゴミとカーシェア(記事サムネイル)

カーシェアの車内に前の人が残していった飲みかけのペットボトル。誰のものでもない車が少しずつ荒れていくのは、なぜか。その答えは、ノーベル経済学賞にもつながった、ある古くて新しい「共有」の問題の中にあった。

Chapter
「シェアは賢い選択」の裏で、静かに起きていること
誰の車でもない車は、誰も大切にしない
牧草地の羊と、カーシェアの車
「悲劇は避けられない」を、覆した人がいる
あなたの車内清掃は、社会の縮図だった
前の人が残していったゴミとカーシェア(記事サムネイル)

カーシェアを予約して、指定の駐車場に向かう。スマホをかざしてドアを開け、運転席に乗り込む。そこまではいい。ところが座ってみると、ドリンクホルダーに飲みかけのペットボトルが残っている。足元にはお菓子の袋。かすかにたばこの匂いがして、シートには誰かの髪の毛が一本。窓には手の脂の跡。

こういう経験をした人は、決して少なくない。そして多くの人が、同じことを思う。「自分の車なら、絶対にこんな状態にはしないのに」。

この「自分の車ならしないのに」という感覚こそ、実はこの記事の入口だ。あなたがカーシェアの車内でうっすら感じたその不快感は、人類が牧草地を分け合っていた時代から悩んできた、ある有名な問題とまっすぐつながっている。しかもその問題を解いた研究者は、女性として初めてノーベル経済学賞を受け取っている。

車の掃除の話が、なぜノーベル賞の話になるのか。順番に見ていく。

「シェアは賢い選択」の裏で、静かに起きていること

まず、いまの日本でカーシェアがどれくらい広がっているかを押さえておきたい。

公益財団法人交通エコロジー・モビリティ財団の2026年3月の調査によると、全国のカーシェア用の駐車場(ステーション)は3万7231か所、貸し出し用の車両は8万5312台、会員数は539万1855人にのぼる。会員数はざっくり日本の人口の20人に1人。もはや珍しいサービスではない。

「車は買うより借りたほうが賢い」「使うときだけ使えばいい」「エコだし合理的だ」。カーシェアには、そういう前向きなイメージがついてまわる。実際、都市部で車を所有すると、駐車場代だけで月に数万円が飛んでいく。年に数回しか乗らないなら、借りたほうが安いのは間違いない。

ところが、その広がりの内側で、少し意外なことが起きている。

同じ財団の調査をさかのぼると、会員数は2025年3月時点では560万人あった。それが2026年3月には539万人へと、むしろ減っている。車両数や駐車場の数は増え続けているのに、会員はわずかに減った。右肩上がりのイメージとは、少しずれる動きだ。

さらに、自動車関連の顧客満足度を毎年調べているJ.D.パワーの2025年の調査では、カーシェアの総合満足度が2年連続で下がっている。設備は増え、便利になっているはずなのに、使う人の満足度は上向いていない。

この「便利になっているのに満足度が下がる」という食い違いの理由の一つが、冒頭のあの飲みかけのペットボトルなのである。

誰の車でもない車は、誰も大切にしない

カーシェアの事業者は、車内のトラブルにかなり神経を使っている。裏を返せば、それだけ問題が起きているということだ。

たとえば最大手のタイムズカーは、利用規約で車内での喫煙(電子たばこを含む)や物品の放置、車の汚損を禁止している。三井のカーシェアーズも全車両を禁煙とし、たばこやペットの持ち込みが後から利用者の報告やドライブレコーダーで確認された場合、クリーニング費用を実費で請求したうえ、会員資格そのものを取り消すと明記している。

なぜここまで厳しく書くのか。消費者庁が2023年にまとめた資料にも、禁煙のはずなのにたばこの匂いがする、ゴミが放置されている、といった苦情が並んでいる。ゴミを座席の下に押し込んで隠していく人、飲みかけのペットボトルを何本も置いていく人。事業者はゴミの持ち帰りをくり返し呼びかけ、返却時の簡単な清掃をお願いし、それでも追いつかない。

ここで立ち止まって考えたい。カーシェアを使う人が、特別にマナーの悪い人たちなのだろうか。おそらく、そうではない。同じ人が、自分の家の車の中を、飲みかけのペットボトルだらけにはしないはずだ。

違いは、人ではなく「その車が誰のものか」にある。

自分の車なら、汚せば自分が困る。だから片づける。ところがカーシェアの車は、次に乗るのは見ず知らずの誰かで、しかも二度と会わない。少しくらい汚しても、自分がとがめられることはまずない。掃除する手間を省いた分だけ、自分は得をする。そのちょっとした「得」を、一人ひとりがほんの少しずつ選んでいく。

その積み重ねの結果が、あの車内だ。誰も大きな悪意を持っていないのに、車はだんだん荒れていく。

牧草地の羊と、カーシェアの車

牧草地の羊とカーシェアの車(本文中イメージ)

この構図は、実はまったく新しいものではない。

1968年、アメリカの生態学者ギャレット・ハーディンが、科学誌『サイエンス』に「コモンズの悲劇」という論文を発表した。日本語では「共有地の悲劇」とも訳される。

彼が挙げたたとえは、村のみんなが自由に使える共有の牧草地だ。牧草地は限られている。ある羊飼いが「もう一頭くらい増やしても大丈夫だろう」と羊を増やす。増やした分の利益は、その羊飼いが丸ごと受け取る。一方、牧草が減って土地が荒れる負担は、村全体で薄く分け合う。つまり、羊を増やすのは一人ひとりにとっては合理的な選択なのだ。

ところが、村の全員が同じように合理的に考えて羊を増やしたらどうなるか。牧草地は羊で埋め尽くされ、草は食べ尽くされ、最後には誰も羊を養えない不毛の地になる。ハーディンは書いている。「共有地における自由は、すべての人に破滅をもたらす」と。

一人ひとりが賢く、まともに振る舞っているのに、全体としては最悪の結果に着地してしまう。これがコモンズの悲劇だ。

牧草地を「カーシェアの車」に、羊を「自分の少しの手抜き」に置き換えてみてほしい。飲みかけのペットボトルを置いていく。灰皿がわりに使う。ゴミを座席の下に隠す。一つひとつは小さな手抜きで、その人にとってはほんの少し楽になる合理的な選択だ。けれど全員が同じように少しずつ手を抜けば、車内は荒れ、匂いが染みつき、満足度は下がり、やがて人は離れていく。

牧草地の羊の話と、令和のカーシェアの車内の話は、五十年以上の時間と、家畜と機械という見た目のちがいを越えて、まったく同じ構造をしている。

「悲劇は避けられない」を、覆した人がいる

ここまでだと、話はかなり悲観的に聞こえる。人間はしょせん自分勝手で、みんなのものは荒れるに決まっている。そう結論づけたくなる。

だが、ここに反論した人がいる。アメリカの政治学者エリノア・オストロムだ。

彼女は世界各地の共有資源を、机上の理論ではなく現地に足を運んで調べた。スイスの山あいの共同放牧地、スペインの農業用水路、日本の入会地(村で共同管理してきた山や野原)、沿岸の漁場。ハーディンの説が正しければ、これらはとっくに荒れ果てて消えているはずだった。ところが実際には、何百年も持続的に使われ続けている共有地が、世界のあちこちに存在していた。

なぜ荒れなかったのか。オストロムが見つけた答えは、シンプルだが深い。うまくいっている共有地には、外から押しつけられたのではない、使う人たち自身が作った明確なルールがあった。誰がどれだけ使っていいか。ルールを破った人にどうペナルティを与えるか。もめごとをどう解決するか。そして何より、使う人どうしが顔の見える関係にあり、「あの人が見ている」という意識が働いていた。

彼女はこの研究で、1990年に『Governing the Commons(コモンズのガバナンス)』という本を著し、2009年にはノーベル経済学賞を受賞した。女性として初めての受賞だった。

つまり、共有地の悲劇は人間の宿命ではない。ルールと、顔の見える関係と、破った人への歯止め。この三つがそろえば、みんなのものは荒れずに保たれる。オストロムはそれを、理屈ではなく世界中の実例で証明してみせた。

あなたの車内清掃は、社会の縮図だった

ここでカーシェアの事業者がやっていることを、もう一度見てほしい。

禁煙・ペット禁止という明確なルールを決める。ドライブレコーダーで記録を取る。違反すればクリーニング費用を請求し、くり返せば会員資格を取り消す。これはまさに、オストロムが見つけた「持続する共有地の条件」を、車という現代のコモンズに当てはめた仕組みなのだ。ルールを決め、監視の仕組みを置き、破った人に歯止めをかける。

ただし、決定的に足りていないものが一つある。オストロムが最も重視した「顔の見える関係」だ。

村の牧草地なら、羊を増やしすぎた人は隣の家のあの人だと、みんなが知っている。だから抑制が働く。ところがカーシェアの車では、前に乗った人も次に乗る人も、あなたにとっては永遠に顔のない誰かだ。だからこそ悲劇が起きやすい。ドライブレコーダーや実費請求は、その「顔のなさ」を、機械とお金の力で無理やり埋めようとする代替策だとも言える。

そう考えると、あなたが返却前に車内のゴミを持ち帰り、シートをさっと払っていく、あの何でもない数十秒の意味が変わってくる。それは単なるマナーの問題ではない。顔の見えない次の誰かを信じて、共有地を次の人へ手渡す行為なのだ。あなたが少しだけ手をかけるから、次の人も気持ちよく乗れて、その人もまた少し手をかける。逆に、あなたが手を抜けば、次の人も「どうせ汚れているし」と手を抜く。牧草地は、そうやって守られもするし、荒れもする。

車に興味があるかどうかは、この話にはあまり関係ない。私たちの暮らしは、名前も知らない誰かと分け合っているものだらけだ。公園も、図書館の本も、会社の給湯室も、マンションのゴミ置き場も、みんな小さなコモンズだ。そして人類は、そのすべてで同じ問題に直面し、同じ答えにたどり着いてきた。ルールと、歯止めと、見えない相手への信頼。

次にカーシェアの運転席に座って、前の人が残していったゴミにため息をついたとき。あるいは自分が降りる前に、ゴミ袋に手を伸ばすかどうか一瞬迷ったとき。思い出してほしい。あなたはいま、五十年前の牧草地から続く問題の、ほんの小さな、けれど確かな当事者になっている。

参照元:
・公益財団法人交通エコロジー・モビリティ財団「わが国のカーシェアリング車両台数と会員数の推移」(2026年3月調査/2025年3月調査)
・消費者庁「カーシェアリングの動向整理」(2023年3月)
・タイムズカー 利用規約・貸渡約款・利用ルール
・三井のカーシェアーズ 利用ルール・よくある質問
・J.D. パワー「2025年 日本カーシェアリングサービス顧客満足度調査」
・Garrett Hardin, "The Tragedy of the Commons", Science, Vol.162, No.3859(1968)
・Elinor Ostrom『Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action』(Cambridge University Press, 1990)/ノーベル財団 2009年経済学賞 授賞ページ

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