日野の中古車について

日野自動車はトヨタの連結子会社であり大型トラックの大手メーカーである。 またトヨタの商用車やSUVを受託生産している。 現在の日野の主力商品はなんといっても大型トラックである。 1910年創業の東京瓦斯工業が1918年に「TGE-A型トラック」を製造開始したことが現在の日野自動車のルーツとなっている。 普通トラック(中型・大型トラック)で国内最大手グループのひとつであり、1972年から取られている統計によると2010年にいすゞにトップを一旦明け渡すまで日野自動車は37年連続で国内シェアトップを維持していた。 2013年上半期では再びいすゞを抜きトッ... 詳しくはこちら!»

●下記車種リストよりご覧になりたい車種を選択してください。
(一度に9車種まで選択できます。)

チェックした車種を探す

サ行

タ行

ハ行

マ行

ラ行

英数字

チェックを入れた車種とよく比較される車種が表示されます

  • 左の車種リストよりご覧になりたい車種を選択してください。
  • こちらのエリアに、選択した車種とよく比較されている車種5車種が表示されます!

車選び.com オンラインコンシェルジュ

日野

日野自動車はトヨタの連結子会社であり大型トラックの大手メーカーである。
またトヨタの商用車やSUVを受託生産している。

現在の日野の主力商品はなんといっても大型トラックである。
1910年創業の東京瓦斯工業が1918年に「TGE-A型トラック」を製造開始したことが現在の日野自動車のルーツとなっている。
普通トラック(中型・大型トラック)で国内最大手グループのひとつであり、1972年から取られている統計によると2010年にいすゞにトップを一旦明け渡すまで日野自動車は37年連続で国内シェアトップを維持していた。
2013年上半期では再びいすゞを抜きトップに返り咲く等、勢いも失っていない。
特に大型長距離輸送ユーザーに評価が高く、親会社トヨタの後ろ盾もあり企業体力もあるといった大きな強みがある。
一方でトヨタからの受託生産で多くの収益を確保していた分海外進出には慎重であったため、海外では国内程のシェアは無い。

■ 日野の乗用車・小型商用車
日野は古くは乗用車や小型商用車も製造していた。
1953年にフランスのルノーと提携したことにより、ルノー4CVの部品を輸入し組立生産を開始したのが始まりである。
元々4CVはVWの設計者、フェルディナント・ポルシェのアドバイスを取り入れた秀逸な小型車であり、日野がノックダウン生産した「日野ルノー4CV」も経済的で耐久性のある4ドア車としてタクシー等に重宝された。
後に部品を完全に国産化、足回りやエンジン等に改良を加えながら1963年まで作り続けられた。

1960年にはキャブオーバー型ワンボックスバンのコンマースを発売。
搭載したエンジンはGP10型で836ccから28psを発生、これは日野ルノー4CV用から派生したものだが、4CVがリアエンジンに対してコンマースではフロントに縦置き配置。
「フルキャブオーバーにFF」「エンジン縦置きにFF」と特異な設計を取っている一方、各部の設計は進歩的な部分も多く、モノコックボディをトーションバーによる四輪独立サスペンションで支え前輪を駆動するといった現在のミニバンでは当たり前となっているレイアウトを先取りしている。
架装は500kg積みのバン以外にも、10~11人乗り乗用車、病院車等もラインナップされた。
意欲的な設計にも関わらずパワー不足は深刻で、後に初代コンテッサのGP20型 893ccに積み替え35psへパワーアップした。
しかし縦置きFFで大きなボディや積み荷を引っ張るには駆動力が不足し、特に当時の劣悪な道路事情では大きなデメリットであった。
このため商業的には成功せず1962年10月に早々に生産中止となる。

1961年、本格的な独自開発の乗用車としてコンテッサを発売した。当初は900ccエンジンで、ボディは4ドアセダンのみ。
ルノー4CVと同じくRRレイアウトで、側面のエアインテークやグリルレスのフロントマスクからもそれが伺える。当時の日本のアメリカ車への憧れからか、小さなテールフィンも備えていた。
ルノー4CVでの実績もあり、日野における事実上の後継車であることからタクシーとしても多くが活躍した。
コンテッサは1964年にモデルチェンジしボディも一新するとともにエンジンも1300ccにスープアップ。車名もコンテッサ1300となった。
これは結果的には日野自動車ブランドの最後の小型乗用車となったが、曙ブレーキの開発した国産車初のフィスト型ディスクブレーキやリアエンジン冷却と両立した空力設計等、車としては進歩的なものであった。
ボディデザインはBMWやトライアンフを手がけたジョバンニ・ミケロッティによるもので、直線的ながら流麗で美しいものであった。
コンテッサ1300のエンジンはGR100型の直4 OHV、1,251ccから55psを発生し、これはピックアップトラックのブリスカの二代目モデルにも流用された。
後にコンテッサ「1300S」および「1300クーペ」に積まれたGR100型は圧縮比を9.0に引き上げられ65psを発生、1300クーペで945kgのボディを最高速度145km/hまで引っ張るという、当時としては素晴らしい動力性能であった。
一方で、コンテッサ900ではリアシート背後に位置していたラジエーターは1300では車両後端に移されたため、元々のテールヘビー傾向が悪化。オーバーステアが強く高速安定性に優れないRR独特の操縦性となった。
販売網が他メーカーと比べて弱かったこともあり国内販売は不振。トヨタ体制下では早々に生産中止となった。
しかしコンテッサは日野の乗用車史を語る存在として中古車市場ではヒストリックカーとみなされており、その希少性から価格は高値安定である。

1961年には小型ピックアップトラックのブリスカを発売。
エンジンはコンテッサ用の流用でコンマースにも用いられたGP20型 893cc、35psを搭載し、こちらはコンテッサのようなRRやコンマースのようなFFではなく当時の貨物車として一般的なFRレイアウトを取り、結果的にこれがコンマースやコンテッサよりも長寿となる。
1962年、ダブルキャブとバンを追加、ダブルキャブは2ドアながら乗車定員は6人で、自営業者の貨客両用車としても重宝された。
1962年、モデルチェンジ。エンジンはコンテッサ1300のものに積み替えて1251ccから55psを発生するようになった。コンテッサの命名にならい車名も「ブリスカ1300」となる。
従来、最大積載量は600kgまでだったがブリスカ1300では1t積みまで拡大された。二代目のブリスカはコンテッサ1300のように大きなベゼルに囲まれた四灯式ヘッドライトが特徴的。

■ トヨタ体制下
1966年、日野はトヨタ自動車と提携関係を結ぶ。
ブリスカは多くの部品をトヨタ系列のものに置き換えコストダウンが図られ「トヨタ・ブリスカ」として再発売された。
この業務提携後、日野は乗用車からは撤退、コンテッサ1300も生産中止となった。
ブリスカは後にハイラックスとしてモデルチェンジを行い、このハイラックスの開発および生産には日野が大きく関わっている。
この後もカリーナバン等、小型商用車に関してはトヨタから生産受託した車種もある。

■ ジェイ・バス
日野がいすゞと共同で2002年、バス製造を行う会社として「ジェイ・バス」を設立、2004年10月には日野・いすゞ両社のバス製造事業を移行。
これにより現在はいすゞとバス開発および製造を一本化、相互に自社ブランドとして販売している。
一部車種では日野でのみ販売するものやいすゞでのみ販売するものもある。

■ 中型・大型トラック
前述のとおり日野は大型トラックで大きなシェアを保っている。
TH10型が1950年に発売、トレーラー式の5~6トンが主流だった時代に新設計したひとまわり大きな8トントラックで、戦後日本の復興期の輸送手段として活躍した。
静粛性や乗り心地に優れ、エアブレーキを採用するなど運転者の負担を減らす機構が多く搭載されていた等、この頃から「楽で疲れない日野のトラック」という定評が生まれていた。
このTH10型トラックをベースとしたバスも製造されており、トラックともども整備性や端正なスタイルが好評であった。

2013年現在のラインナップは大型トラックの「プロフィア」、中型クラスは「レンジャー」、小型・普通クラスの「デュトロ」である。
プロフィアは先代であるスーパードルフィンがフルモデルチェンジ時に改称される形で1992年に生まれた。
レンジャーは4t積前後を中心として9t積までラインナップされる。
デュトロはトヨタおよびダイハツとの共同開発車種で日野が生産し、ダイハツのデルタ、トヨタのダイナおよびトヨエースとしてOEM供給もされている。
いずれも快適な乗り心地と信頼性で中古車市場でも人気が高い。

■ モータースポーツ
日野とモータースポーツの歴史は1963年には第1回日本グランプリに遡る事が出来る。
コンテッサ900は当時の乗用車としては走行性能も高く、第1回日本グランプリで1300cc以下のスポーツカー、B-Iクラスで2位に輝いた。
同グランプリで翌日開催された1300cc以下のツーリングカー、C-IIIクラスでDKW(後のアウディの母体のひとつ)やルノー等の輸入車を抑えて優勝。
翌年の第二回ではコンテッサ1300は目立った成績を残せず、1966年にトヨタとの業務提携により乗用車でのモータースポーツ参戦は終わった。

近年の日野のモータースポーツにおける活躍としては、レンジャーによるダカール・ラリー参戦が挙げられる。
1991年に創立50周年記念として日本車で唯一カミオン部門に出場、以来連続で参戦しクラス上位の常連となっている。