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トヨタの関連情報

国内でも有数のトップクラスの大企業であると同時に日本が世界に誇る自動車メーカー、それが愛知県の豊田市に存在しているトヨタ自動車株式会社です。
歴史はもちろん古く、現在に至るまで車業界の先駆者としてその役割を果たしてきただけではなく、現在においてもエコロジーや環境問題といった問題に熱心に取り組んでいます。
その代表作であるプリウスは車好きではなくても知っている人が多いほどの人気のエコカーであり、環境問題だ、エコロジーだとささやかれている現在の車社会において爆発的な売り上げを記録している車であります。このプリウスのほかにも紺核とカーブームの火付け役となって大ヒットになったヴィッツや、ライトバンといえばこの車だといわれるほどのヒットを記録したハイエース、走り屋に大人気となったAE86レビン、AE86トレノなどというように、ユーザーや年齢層、使用目的に合わせて多数のバリエーションを豊富に兼ね備えたラインナップを商品開発の中に常に念頭においてきたからこそ、今のトヨタ自動車があるといっても過言ではないでしょう。
もちろん、そのトヨタ自動車が生産していた車は現在も中古車市場では必ずといっていいほど見かけますし、ラインナップも前述のとおり豊富なために、中古車のタマ数も多く、商業用に、スポーツ走行などの趣味に、家族ができたので買い換える、エコロジー対策に買い換えるといったありとあらゆる場面に対応しているのです。
トヨタ自動車 歴代社長
トヨタの創始者の豊田佐吉は大工兼農家であった父豊田伊吉と母るいの間に生まれました。小さなころから手先が器用で、父の後を継ぎ大工の修行を始めたのですが性に合わず、学が無い自分でも役に立てることが有ると考え、発明で身を立てようと18歳のときに決心しました。
手始めに、身近にあった織機の改良をはじめたのですが、転機となったのは明治23年に発明した豊田式人力織機でした。その6年後の明治30年には木製の動力織機を発明し、60台の織機を納めて会社を軌道に乗せました。その後次々と会社を立ち上げ、大正15年にトヨタ自動車の原点である豊田自動織機製作所を創立、初代社長に佐吉の婿養子である豊田利三郎を迎えました。
トヨタ自動車(当時:トヨタ自動車工業)は、このトヨタ自動織機の自動車部が独立する形で昭和12年に設立され、初代社長に利三郎が就任しました。これがトヨタ自動車の始まりです。昭和16年に豊田佐吉の息子である喜一郎に社長を譲り、会長に退くも昭和24年に人員整理の責任を取って喜一郎と共にトヨタ自動車を退任しました。
利三郎から要請を受けて3代目社長に就いたのは石田退三です。トヨタの現在あるのは石田退三の凄まじいまでの倹約によるところが大きいと言われています。無駄使いを一切せずに内部留保を着実に増やすやり方は今でも受け継がれており、トヨタ銀行と呼ばれるほど内部留保を厚くしています。近年ではこの資金を有効に使い、ファイナンス部門でグループ全体利益の30%以上を稼ぐまでになっています。
4代目社長は喜一郎の従兄妹の英二が就任すると思われましたが、貿易自由化や自動車業界再編もあり、三井銀行から経験豊富な中川不器男が社長に就任しました。このころ発売されていた車に、ヨタハチの愛称でも知られているトヨタスポーツ800や初代カローラなどがあります。昭和42年突然体調不良を訴え急逝、帰らぬ人となりました。
5代目社長には豊田英二が就任しました。14年の長きにわたり社長を務め、昭和57年には工販合併を果たし、トヨタ自動車工業からトヨタ自動車に社名を変更しました。その後、豊田章一郎に社長を譲り、平成4年まで会長を務めました。
豊田章一郎は、豊田英二に幼いころから英才教育を受け社長に就任しました。豊田本家からの社長就任は、利三郎以来実に43年ぶりとなりました。豊田章一郎から豊田章夫までの歴代社長は、豊田達郎、奥田碩、張富士夫、渡辺捷昭です。豊田章夫は豊田佐吉のひ孫にあたります。
トヨタの代表的車種
トヨタ自動車は、前身である豊田自動織機製作所内に開設された自動車部が昭和12年に独立して誕生しました。
トヨタ初の量産自動車は1936年発売の「トヨタ・AA型」と呼ばれる5人乗りの乗用車で、排気量3400CCの直列6気筒OHVエンジン「A型」を搭載、最大出力65馬力、最大トルク19.4kg-mでした。変速機は3速、サスペンションは前後固定軸で縦置き式半楕円リーフスプリングで、当時のパッケージとしては平凡で保守的な構成です。以来、様々な名車を生み出してきたトヨタ自動車ですが、その中でも国民車として爆発的な販売台数を記録したのが現在でも販売されている「カローラ」でした。ちなみに現行車はカローラアクシオで11代目となります。
1966年に販売されたカローラは、パブリカとコロナの中間車種として設計されました。パブリカの失敗を徹底的に解析し、ユーザーの上位志向にマッチした車作りを追及すると同時に、スポーティー性を兼ね備えた野心作でもありました。エンジンは、排気量1100ccの水冷直列4気筒で、ミッションは2速ATと4速 / 3速ミッションが選べました。
高級車カテゴリーでトヨタを代表する車種といえば、やはり「クラウン」ではないでしょうか。「いつかはクラウン」というキャッチコピーをご存知の方も多いと思いますが、日本の高級車の代名詞として長い間君臨していました。今でこそレクサスや輸入車におされ、以前ほどの存在感はありませんが、団塊世代からの支持は今も健在です。初代クラウン(RS型)は1955年の正月に発売されました。
トヨタの4輪駆動車と言えば、ランクルの愛称で親しまれているランドクルーザーが筆頭格です。ランクルの歴史は意外と古く、なんと戦後間もない1954年6月から使用されていて、継続的に生産されている日本車の車種としては最も古いと言われています。
ランクルは自衛隊(当時警察予備隊)への納入を念頭に置いて開発されていましたが、競合であるジープ車のライセンスで製造された「三菱・ジープ」に敗れ、その後警察のパトロールカーに採用されました。現行のランクルは、200系と呼ばれ2007年から販売されています。
トヨタの車種でもう一つ忘れてはならないのが、86ことカローラレビンではないでしょうか。2012年に「86」として復活したトヨタのFRライトウェイトスポーツの傑作です。86とはAE86型の略称で、4代目カローラレビンにあたります。86が人気になったのは、この後のライトウェイトスポーツカーが大型化、FF化になったためと考えられています。
86以降のレビンはスポーツカーとしての魅力が薄れ、7代目のAE111型を最後(2000年)にモデルが消滅しました。
その後、86で峠をドリフトで疾走する漫画「頭文字D」が発売されると、一気に86人気が沸騰し、86レビンの中古車相場が跳ね上がり、入手困難になりました。発売から30年近く経っても高値で取引されています。
トヨタの車種のほんの一部を紹介しましたが、他にも様々な名車たちがあります。ぜひ中古車検索サイトを活用して調べてみてください。