トヨタ・ジムニーとは
ジムニーはスズキが市販する軽自動車にして本格的なクロスカントリー車である。
軽自動車規格であるがゆえに小型で軽量なのは勿論、このサイズにして縦置きエンジンに副変速機つきパートタイム4WD、
強度と耐久性に優れたはしご型のラダーフレームを前後リジッドのサスペンションに載せるというオフロード向けには有利なレイアウトを2013年現在まで貫いている。
このためジムニーの走破性は驚異的で、日本の狭隘な林道ではジムニーの右に出るものはないと言われている所以である。
このような特殊な性能によって根強いファンが多く、スズキ自身はよりモダンな(そしてオフロード性能を損なうような)新しい設計を取り入れたくても出来ないでいると言われている。
■ ジムニーのルーツ
ジムニーの歴史は長く、スズキが1970年から販売している。
そのルーツとなるのは1967年に完成したホープスター・ON型4WDという車であった。 ホープスターは三菱から供給を受けたコンポーネントを使い独自に軽四輪駆動車を開発、しかし量産をするための企業体力がなく、スズキに売り込んで来た。
スズキの現社長、鈴木修が周りの反対を押し切ってこの製造権を買い取ったのがジムニーの始まりである。
スズキはこれの発売に際してキャリイ用のエンジンとトランスミッションを流用、各所に他車種や規格品からの流用を用いながらコストダウンし量産化に成功した。
■ 初代 LJ10型
当初は2サイクルエンジンを持ち、パワーを稼ぐのには有利である一方、現在の一般的なエンジンより騒音が大きい等、乗用車としては現在では厳しいものがある。
ただしこれはジムニー固有の問題ではなく、この時代の軽自動車では2サイクルエンジンはそれほど珍しいものではなかった。
当初のエンジンは空冷直列2気筒FB型2サイクル 359ccで、25PS/6,000rpmと3.4kg・m/5,000rpmを発生した。これに4MTと2段のトランスファーを組み合わせた。
発売時のキャッチコピーは「自然に挑戦する男のくるま」「男の相棒☆ジムニー」「最前線志願」といった非常に勇ましいものであった。
■ LJ20型
1972年、空冷から水冷2サイクルエンジンに換装。以降をLJ20型と呼ぶ。外観上の識別点としては、フロントグリルの穴が横長から縦長になったことが挙げられる。
この時代にPTO軸を使った発電機を利用しソニーとコラボレーション、ビデオデッキを積んだ「ビデオジムニー」が発売された。
このビデオジムニーは一台も売れなかったという説もあるが、現存車の写真が見られることから試作車が後に中古車として市場に流れたか、供給されていた純正部品を利用しコンバージョンされたものである可能性もある。
1973年マイナーチェンジ。以降をLJ20-2型と呼び、区別のためこれ以前をLJ20-1型と呼ぶようになる。
後部ウィンカーレンズが赤からオレンジになり、前部のウィンカーがポジションランプから独立したのが識別点だ。
またこのLJ20-2型からは四人乗りが選べるようになった。
■ SJ10型
1976年、軽自動車の規格が550ccに拡大されたのを機にジムニーも539cc水冷直列3気筒 LJ50型2サイクルエンジンに換装。
出力は26PS/4,500rpmと5.3kg・m/3,000rpmとなった。
この時の軽自動車規格は排気量だけではなくボディサイズの規格も広がったが、SJ10型の当初のジムニーはサイズは360cc時代のままであった。
翌1977年、ジムニーは新規格のボディサイズに拡大。SJ10-2型と呼ばれることになる。
識別点はボディサイズの他にボンネットの空気取り入れ口の穴があることだ。
これ以降、SJ10型はフェイスリフト等の変更を経てSJ10-3型、SJ10-4型に発展する。
■ 登録車(小型車)のジムニー、ジムニー8 SJ20型
ジムニーは軽自動車であるが、それをベースとした登録車(小型車)としたモデルも販売されている。
いずれも国内で販売されたモデルについてはボディ自体は軽自動車モデルと変わらず、800~1300ccクラスのエンジンを搭載し、オーバーフェンダーや大型化されたバンパーによって外寸が軽自動車枠を超えている。
軽自動車規格の2サイクルやターボエンジンに代わり比較的大排気量のエンジンを搭載したことにより低速トルクに粘りが生まれ、特にオフロードでの扱いやすさを向上している。
また街乗りに際しても軽自動車としては元々頑強なボディによって重量があるため、排気量の余裕はそのまま走りの余裕やスムーズさ、静粛性に対しても有効に働いている。
登録車(小型車)のジムニーは1977年7月に「ジムニー8」として800ccのF8A型エンジンを搭載し登場。これはジムニーシリーズ初の4サイクルエンジン搭載車となる。
型式はSJ20。しかし軽自動車の税制面等でのメリットは大きく、日本国内での登録台数は1,799台に留まった。
■ 二代目 SJ30型
1981年、ジムニーは初めてフルモデルチェンジ。
先代の2ストロークエンジンを受け継いでおり、MTの段数もまだまだ4速までであった。
しかしこの2ストロークエンジンの特性を好むファンも多く、4ストロークエンジンを積んだJA71型の登場後も1987年まで併売された。
このSJ30は宇宙刑事ギャバンの一条寺烈の愛車として劇中に使用されたためある世代には有名である。
劇中車には1981年式 SJ30F型ハーフメタルドアが使われ、550ccの軽規格であったが何故か白いナンバープレートが装着されていた。
■ ジムニー1000 SJ40型/ジムニー1300 JA51型
1982年、先代同様、登録車(小型車)となる大きめのエンジンを載せたジムニー1000が発売される。
エンジンは先代のジムニー8をボア・ストロークともにUPした4サイクル水冷直列4気筒 F10A型 970cc。
ボディバリエーションとしてキャリイトラックの荷台を流用したピックアップもあったが、わずが321台しか売れなかった。
そのためジムニーの国内仕様で荷台のあるものはこのSJ40/JA51型を最初で最後として以降販売されていない。
なおJA51型のピックアップも設定はされてはいたが売れたのは0台であった。
SJ40の後継となる「ジムニー1300」JA51型はカルタスのエンジンを基本として水冷直列4気筒4サイクル1324ccとしたG13A型を積んだ。
SJ40型も宇宙刑事シリーズの劇中車となり、1982年式ジムニーフルメタルドアSJ40FK型が使われた。
「宇宙刑事シャリバン」伊賀電の愛車として白い塗装で登場後、「宇宙刑事シャイダー」沢村大の愛車として青く塗り直されルーフ上に補助灯を装着した姿で再び登場した。
■ JA71型
1986年発売のターボモデル。軽自動車規格で初めての4ストロークエンジン搭載となった。
■ JA11型
1990年、軽規格変更に伴うマイナーチェンジ。660ccとなる。軽規格で最後のリーフスプリングを持ったモデルとして根強い人気がある。
それなりに玉数もあり、中古車として求めるのも難しくはない。
■ 登録車(小型車)のジムニー、ジムニーシエラ JB31型
1993年登場の1300cc。
それまでエスクード登場から暫くは登録車(小型車)のジムニーは途絶えていたが、ファンの要望が多く復活。
■ JA12/JA22型
1995年マイナーチェンジ。コイルスプリングを採用して日常の快適性能が格段に上がった。
■ 三代目 JB23型
1998年、新規格に合わせてボディ拡大。三代目は幌屋根は設定されなかった。
旧モデルで劇中車として出演していた宇宙刑事シリーズが映画としてリメイクされるにあたり、ブルーメタリックのJB23型(特別仕様車またはディーラーオプションのフロントグリル装着のため年式不詳)が使われていた。
■ ジムニーワイド JB33型
1998年登場、1300cc搭載。
■ 海外展開
輸出名はサムライ。
海外には、日本では殆ど見かけることの出来ないロングホイールベース仕様やピックアップ等もあり、少数が逆輸入されており稀に中古車として出回ることもある。
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