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    ミト(34)
    平均相場価格 114.4万円

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アルファロメオの関連情報

イタリアの自動車メーカー、アルファロメオはスポーツカーや高級車で有名な名門企業です。戦前からスポーツ車のメーカーとして知られ、モータースポーツをリード、高性能で高級なスポーツカーを多く輩出してきました。現在でもF1のほか、さまざまなレースで活躍しています。アルファロメオで日本で人気の車種はジュリエッタ。流線の美しいデザインには赤が映えるイタリア車らしい美しいデザインの車は、クルマに興味がない人でも魅了されるのではないでしょうか。ドイツ車が圧倒的なシェア握るCクラスの市場にあって、中古車でもジュリエッタは大人気のクルマとなっています。アルファロメオが戦後の厳しい時代をフィアットの下で復活し、その後スポーツカーの名車を世に送り出し続けています。

アルファロメオのエンブレム

アルファロメオのエンブレムの意味はミラノ市の紋章「白地に赤い十字架」と、13-15世紀にミラノを支配したヴィスコンティ家の紋章「子供を呑み込む大蛇」(または「サラセン人を呑み込む竜」)が組み合わされたものです。それに縦型のラジエーターグリルを組み合わせたモチーフはアルファロメオの象徴とされ、戦前のスポーツカーから現在のモデルまで受け継がれています。

創業・戦前の栄光

フランスのアレクサンドル・ダラック社が1905年にイタリアのナポリで創業。翌年ミラノに工場を建設しました。このダラック社の経営が傾くとイタリア人のカバリエレ・ウーゴ・ステッラが「ロンバルディア自動車製造株式会社(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili)」を設立し1910年にこれを買収しました。Anonima Lombarda Fabbrica Automobili、略してALFAである。これがアルファロメオのルーツとされています。当初「蛇と十字架」の周囲の文字は「ALFA ROMEO」ではなく「ALFA MIRANO」でした。
創業すぐにアルファは「24HP」の生産を開始しました。24HPの「HP」とは馬力のことだが、フランスの「CV」と同じく「課税馬力」を表していて、実際の馬力とは関係がありません。このころのイタリアの課税馬力は排気量1リッターあたり6課税馬力とされ、すなわちアルファ24HPは4048ccの排気量から45psの実馬力を発生するエンジンを持っていました。翌年早くもアルファはこの24HPをもってレースに参戦。続く「30HP」「40-60HP」で活躍する等、既に生まれながらのスポーツカーメーカーでした。
1918年、実業家ニコラ・ロメオがアルファ社を買収。ニコラ・ロメオはナポリ出身でレース好きの男であり、アルファ社あらため新生アルファロメオはその後ますますレースで活躍、名声とブランドイメージを高めていきました。
1921年のジェントルマン・ディ・ブレシアGPに出場したマシンの4気筒4.5リッターエンジンは、後にアルファロメオの記号の一つともなる「ツインスパーク」点火システムを備えていました。
1923年には直列6気筒エンジンを備えた「P1」をもってグランプリシリーズに参戦。勢いづいたアルファロメオはグランプリで成功をおさめるためフィアットチームから名技師ヴィットリオ・ヤーノを引き抜きました。このころから1930年代にかけて、市販車を含めツインカムエンジンを搭載することが伝統となっています。
1929年、アルファロメオのセミワークスレーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」が設立されました。これは後にあのフェラーリ社のもとになります。今では同じフィアット社の傘下におさまるアルファロメオとフェラーリですが、元々はフェラーリはアルファロメオから生まれたとも言えます。これを踏まえ、後に1951年F1イギリスグランプリでそれまでF1GP常勝であったアルファロメオをフェラーリが初めて敗った時、エンツォ・フェラーリが「私は母親(=アルファロメオ社)を殺してしまった(=栄冠を奪い取った)」と言ったとされるのは有名な逸話です。

国営化

1929年アメリカで歴史的な株価大暴落が起きるとそれは世界中に波及、アルファロメオ社もその波に飲み込まれました。経済的な事情のほかムッソリーニの意向もあり、1932年にはアルファロメオはイタリア産業復興公社の傘下に入り事実上国営化されました。ムッソリーニ自身、アルファロメオのスパイダー・コルサに乗るエンスージアストであり、また国威を示すためにレース活動を推奨していました。ムッソリーニは「ミッレミリア」等の大きなレースイベントも支援し、手元に置いたアルファロメオからも次々と「勝てるレースカー」を輩出していました。
アルファロメオは1930年からタルガ・フローリオで6連勝、1931年からルマン24時間レースで4連勝、1938年にはセミワークスとしていたスクーデリア・フェラーリをアルファロメオ本体に吸収、アルファ・コルセとして再編するなど破竹の勢いでした。
戦火が激しくなるとプロパガンダとしてのレースよりも軍需産業が国策として重要視され、国内でのレースは禁止となります。
一方ムッソリーニの車好きとしての熱意からか、それでも国威を示したいという葛藤からか、1939年にはイタリア領リビアのトリポリでGPを開催。しかし強豪となっていたメルセデス・ベンツが1-2フィニッシュしアルファロメオは周回遅れの3位という結果に終わりました。のちに戦時体制でアルファロメオは航空機用エンジンを生産することに注力することになるが、そのエンジンは優れたダイムラー・ベンツ設計のエンジンをライセンス生産していたという事実は先のトリポリGPの結果が象徴的な出来事であったと見ることが出来ます。

戦後

1947年戦前型の「6C」をもって生産を再開。この6Cはツーリング、ピニンファリーナ、ギアといった著名なカロッツェリアにより美しいボディを与えられ高級スポーツカーとして持て囃されました。
1950年アルファロメオ社はイタリア産業復興公社の傘下のまま「アルファ・ロメオ・S.P.A.」として再編されました。同年アルファロメオはそれまでレーシングカーに限りなく近い高級スポーツカーのみを扱っていましたが、初めての戦後型である「1900」で量販車種として参入させました。軽量のまま高剛性を出しやすいモノコック構造をアルファロメオのサルーンとして初めて採用します。この時代としてはまだ珍しいツインカムエンジンをおごった高性能なもので、単なる安価なサルーンに留まりませんでした。この1900の性格は当時の広告コピー「レースに勝つファミリーカー」にも表れています。1900は商業的にも成功、その後アルファロメオはかつてのイメージを活かしたスポーティーな量産車のメーカーとして歩んで行きました。
1900の成功を期にアルファロメオはさらに小さなモデルを開発します。1954年、後に名を残す名車「ジュリエッタ」を発売。アルファロメオのジュリエッタ。語感から何となく分かる通り「ロミオとジュリエット」にちなんだものです。アルファロメオの技術者がカフェで談笑していたところ通りがかりの婦人が発した「ロメオがこんなに居るのにジュリエットがいないのね」というジョークが由来といわれています。1900と同じく、ジュリエッタは本来ベルリーナ、すなわち4ドアサルーンが先に発売されるはずでしたが、室内騒音に悩まされていました。そこでそのエンジン音を持ち味とすることが出来るスポーツモデルから先に発売することとなったのです。
ジュリエッタのボディデザインはクーペの「スプリント」はベルトーネ、オープンモデルの「スパイダー」はピニンファリーナによるものでした。また特別なモデルにはザガートの手による独特のボディを与えられたものもあります。もちろんエンジンはアルファ伝統のツインカムエンジンで、良い音を奏で、しかも高性能。スタイルは美しく1900よりもさらに安価。ジュリエッタは戦後アルファの代表的な車種となり大ヒットしました。
ジュリエッタと同じ1954年、アルファロメオは初めてのFFモデルを作成します。トリノモーターショーでデビューした「ミニバス」で、ジュリエッタの1300ccツインカムエンジンを使った贅沢なパワーユニットでした。ジュリエッタはバリエーションを増やし、1962年排気量の大きな「ジュリア」に発展。ボディデザインは巨匠ジョルジェット・ジウジアーロがベルトーネ在籍時代に手掛けたものです。ジュリエッタ、ジュリアともレースシーンでも大活躍し、その美しさとともに大いに世間に印象付けられ、それゆえ後の時代で多くモチーフとされています。このジュリエッタがデビューした年、工場がミラノから郊外のアレーゼへ移されました。大いに商業的に成功したメーカーとして立地の問題が出たためだとされています。
オープンモデルの「スパイダー」はシリーズから切り離され、「アルファ・スパイダー」として引き続きピニンファリーナによるボディが与えられた。
1966年デビューのこのスパイダーは1967年の名恋愛映画「卒業」でダスティン・ホフマンが劇中愛車として乗っていたことでロマンチックなイメージがつき、以後30年近いロングセラーとなりました。1993年まで生産されたこのモデルは現在の中古車市場でも見つけることが出来ます。
1967年モントリオール万国博覧会にベルトーネが出したコンセプトカー、「モントリオール」を1970年に市販化。長く途絶えていたアルファロメオの高級スポーツカーの復活として、またレースカー(ティーポ33)譲りの2.6リッターV8による高性能とともに歓迎されました。

フィアット傘下

1971年国土の南北格差の是正を目的としたイタリア政府の意向に従いナポリに工場を建設。こうして生まれたアルファ・スッドはFFレイアウトをとるアルファロメオ初めての本格的な大衆車だったが、材料鋼板の品質や生産技術の低さから評判は芳しくなく、アルファロメオ全体の評判を下げることになりました。これが発端となり1986年フィアットグループに買収されます。
フィアット傘下で品質は改善され、フィアット、サーブ、ランチア、アルファ・ロメオ4ブランドで展開された「プロジェクト・クアトロ」の成果である「164」がヒット、さらに1997年には「156」がスマッシュヒットとなりました。続くモデルでもフィアット系のコンポーネントをうまく使いながら、日常使える信頼性と旧来の素晴らしいブランドイメージ、それにスポーティーな素晴らしい味付けで現在では車好きを唸らせるような素晴らしい車を生み出し続けています。
現在の中古車市場ではスポーツクーペとして「GT」「ブレラ」「スパイダー」、スポーティーなサルーンとして「156」とその後継の「159」、スポーティーなハッチバックの「147」とその後継の「ジュリエッタ」、さらに小型の「MiTo」が多く見られます。

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