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フェラーリはいわゆるスーパーカーのみを市販しているイタリアのメーカー。 非常に高価というだけでなくその性能はモータースポーツに裏打ちされたもので、 またフェラーリの車は市販車であってもメカニズム的にもドライバーの五感で感じる要素としてもレーシングカーに非常に近い存在であることから 非日常性と車の本質の一種である「機械を操る」魅力を備えたものである。 またそのボディスタイルも優美で流麗なものであり、初期から2000年代にかけてはピニンファリーナの手によるものが多い。 フェラーリは常に羨望をもって語られ、憧れの対象になり続けている。 そのため自動... 詳しくはこちら!»

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フェラーリ

フェラーリはいわゆるスーパーカーのみを市販しているイタリアのメーカー。
非常に高価というだけでなくその性能はモータースポーツに裏打ちされたもので、
またフェラーリの車は市販車であってもメカニズム的にもドライバーの五感で感じる要素としてもレーシングカーに非常に近い存在であることから
非日常性と車の本質の一種である「機械を操る」魅力を備えたものである。
またそのボディスタイルも優美で流麗なものであり、初期から2000年代にかけてはピニンファリーナの手によるものが多い。

フェラーリは常に羨望をもって語られ、憧れの対象になり続けている。
そのため自動車メーカーとしてのフェラーリと関連はない事柄の名前にとられることもあり、例えば1986年にイタリアのサン・ヴィットーレ天文台で発見された小惑星はフェラーリと名づけられている。

■ フェラーリの分類
最近の車種はごく大雑把に言って12気筒モデルとV8のスモールフェラーリ(もしくはイタリア語で「ピッコロフェラーリ」)に分けられ、
それぞれミッドシップレイアウトの2シータースポーツカーとFRレイアウトの2+2(狭いリアシートを備えた四人乗り)グランツーリスモの系統がある。
もちろんこれは例外を多く持ち、古くはスポーツ性を重視した車種であってもフロントエンジンが主流であったし、ミッドシップレイアウトながら2+2の「モンディアル」「ディーノ208/308」、6気筒モデル「ディーノ206/246」、4WDの2ドアワゴン(シューティングブレーク「フェラーリ・フォー」)等がある。

■ メーカーとしての成立前
第一次世界大戦後、軍隊にいたエンツォ・フェラーリは復員後イタリアの自動車メーカー、アルファロメオのテストドライバー、のちにワークスチームのレーシングドライバーとなる。
1929年、アルファロメオのセミワークス体制のレーシングチームとして「スクーデリア・フェラーリ」を設立。
エンツォ・フェラーリは戦前のアルファロメオとは深い関係で、自動車人生において母のような存在であったことから、のちにF1グランプリでフェラーリがアルファロメオを破った時に「わたしは母親を殺してしまった」という名言を残している。
第二次世界大戦後の1947年、自動車メーカーとしての「フェラーリ」を設立する。
「スクーデリア・フェラーリ」は「フェラーリ」設立後も2013年現在、F1コンストラクターとして活躍している。

■ フロントエンジン時代
純粋なレーシングカーの世界では、今でこそミッドシップレイアウトが主流であるが、古くはフロントエンジンでリアを駆動するFRレイアウトがごく普通であった。
フェラーリの名前がつけられた自動車は最初はレーシングカーとして始まっており、1947年に製造されたその最初のフェラーリ「125S」も公道走行を前提としないレーシングカーとして作られた車である。
創立者エンツォ・フェラーリには「荷車は牛が押すのではなく、牛が引くものだ」という名言があり、フロントエンジンに拘りを持っていたことが伺える。
この頃からフェラーリは「レースをするための資金を稼ぐため」旧型のレースカーを公道走行用にエンジンをデチューンし、内外装を改装し高級グランツーリスモとして売り出していた。
1962年、レース参戦用のホモロゲーションモデルとして250GTOを発売。250GTOは非常に流麗なシルエットを持ち、この中古車はのちにバブル期の日本で数十億円の値が付いた。

■ ミッドシップへの転換とスモールフェラーリの登場
ミッドシップとはドライバーの後ろにエンジンを配置する方式のことで、50年代から徐々にF1の世界では台頭して来ていた。
1959年と1960年に、ジョン・クーパーによるミッドシップレイアウトのF1マシンがワールドチャンピオンになると、ミッドシップの優位性は世に認知されるようになってきた。

創立者エンツォ・フェラーリの息子、アルフレード・フェラーリ、愛称「ディーノ」が若くして亡くなると、ディーノがF2レース用に関わったV6エンジンを積んだスポーツカーをエンツォは「ディーノ」と名付けた。
元々フェラーリは頑なにフロントエンジンレイアウトと12気筒に固執していたが、このディーノはミッドシップレイアウトの6気筒である。
このV6エンジンは当時、F2のレギュレーションとして年間500基の生産が義務付けられ、そのため自動車メーカーとして規模の大きいフィアットに生産を依頼。このエンジンを積んだスポーツカーがディーノ206GTおよび246GTである。
この車がフェラーリではなく「ディーノ」とされたのは当時「12気筒エンジンを積まないロードカーはフェラーリとは呼ばない」というエンツォの方針に沿ったものであるが、エンツォの息子ディーノへの愛ゆえと取ることも出来る。
フェラーリの初めてのミッドシップレイアウトのロードカー、初めての12気筒ではないロードカーである。

ディーノのV6はフィアットグループ内で他ブランドの車にも搭載された。
それがラリーで活躍したランチア・ストラトスと、フィアット・ディーノである。ストラトスはラリーファンには非常に有名な車種だ。

ディーノは後にベルトーネによる直線的なボディとV8エンジンを持った2+2グランツーリスモの208GT4/308GT4として発展。
この8気筒のディーノは新車当時モダンなスタイルと実用性を備えているとして評価されていたものの、中古車市場では、当初フェラーリの名を持たなかったこと、「初代ディーノ」のようなエポックメイキング的な地位に無いこと、スポーツカー史的に排ガス規制のかかった70年代のモデルであること、「フェラーリらしくない」ベルトーネのボディを持つこと等から「フェラーリらしくない」として長く評価は高くなかった。
そのため相場は比較的リーズナブルなものであったが、一方、コアなモデルとして日本では自動車漫画家の西風氏が所有していた。
後に70年代のモデルの再評価の気運が高まると、この8気筒ディーノも評価されてきている。
このディーノ208GT4/308GT4は1976年からフェラーリ208GT4/308GT4と改名された。この頃にはフェラーリは308GTB/GTS、V8エンジンを積んだ通称スモールフェラーリを二座スポーツカーとしてデビューさせている。公道用8気筒モデルもフェラーリとしての地位を得ていたのである。
いわゆる「スモールフェラーリ」の系譜に繋がる車種となった。

■ エンツォ・フェラーリ死後
1988年、創業者のエンツォ・フェラーリが亡くなると、それまでの高いカリスマ性と強い拘りに裏打ちされフェラーリのイメージを作り上げていた存在の喪失がフェラーリの市販車にどう影響を及ぼすか行く末を案じる声もあった。
従来、ロードカーと言えどレーシングカーに近い存在であり続け、選ばれたドライバーのための車という傾向が強かったが、オートエアコン、ロボタイズドMT「F1」トランスミッション、パワーステアリング、ABS等イージードライブに役立つ装備を多く盛り込むようになった。
しかしスポーツ性と絶対的な性能、そして比類なき存在感は決して失われてはいなかった。
創業初期のエンツォの拘りをなぞるように、フェラーリの新しいグランツーリスモにはフロントエンジンモデルが増えていった。
2013年、フェラーリ初のハイブリッドモデル、「ラ・フェラーリ」がジュネーブショーで発表された。